ベルリン・フィルと子どもたち
今年最初に見た映画はこれ。
b0046388_1526193.gif















ベルリン・フィル(以下BPO)が最近力を入れだした、ドイツやその文化への働きかけのプロジェクトがあり、それをドキュメントとして撮ったモノ。BPOの指揮者、サー・サイモン・ラトルが中心に動いているこのプロジェクトはドイツに在住の国籍や地域、性別や年齢など様々な子供250人が、BPOが演奏する「春の祭典」をバックにダンサーとして踊るというもの。

まず、ドイツに住んでいる様々な子供達を捕らえているのだが、日本と同じように、シャイで一人で動けなかったり、どうしてもふざけてしまい、人目を気にしてしまう子供達。でも90日の稽古の間に、徐々に自分の成長や、グループの中での在り方、自分を試そうという気持ちなど、徐々に変わっていく姿が描き出される。中でナイジェリアの子供が、「ドイツの文化レベルはかなり低い」ということを言っていたりするのが印象的だったのだが、それは表現するという意味で、それを当然の様にやってきた彼と、そうでない子供達を表していた。日本人は写っていなかったが、もし居たら、彼らと全く同じようにしていたかもしれない。技術や情報は著しく進み、それについていくどころか、逆に成長を止めてしまったような社会。だが、潜在的にそれを秘めた我々の中のモノを引き出すアーティスト。アートの持つ力や、方向性の一つを示してくれているように思った。

BPOの指揮者、ラトルの言葉を転載。

「ベルリンの街はとてつもない規模で経済が破綻していて、
 芸術は今後生存をかけた闘いを強いられる。
 だが、芸術はぜいたく品ではなく必需品だ。
 空気や水と同じように生きる為に必要だ。」

生きる為に必要なもの。空気や水、食べ物と同じように我々が吸収しないといけないもの。それは生きていくことへのエネルギーなのだと思う。それが芸術と呼ばれているものではなくても良いかもしれない。だけど、僕らの心を満たし、生きていることを実感できるものは、今の時代には絶対に必要だと思う。この映画の中でも、子供達がぶつかりながら生きていることを実感し、成長していくのが見えてくる。そして思うのは、子供だけでなく、大人にもこれは必要な空気や水なのだろう。芸術は今意味を求められているのかもしれない。本来もっと生活に近いところに在ったはずのものは、いつの間にか生活の外に置かれ、別次元へ追いやられてしまっている。経済の流れの外側、つまり社会の外側に。これからどう人々の近くへそれを運び、そして表現するか?自分も含め問われていくのだろうな。

映画の内容に戻るが、映像も丁寧に撮られていて、最後のパフォーマンスの所などは見ているだけで熱くなるものがある。映画としては前半はやや退屈な感もあるが、徐々に見るものを惹きつけ、一緒に考えさせてくれる良質な映画だと思う。モーニングとレートショーでパフォーマンス部分も上映しているようなので、こちらも是非見に行きたい。(果たして行けるか?^^;)

今年最初にしてはなかなか良い映画を見れて良かった。皆さんも気が向けば是非。
詳細はこちらから
[PR]
by michiyuki917 | 2005-01-05 17:51 | Review
<< 関西のぷち不思議 怒濤の年末年始 >>