久々の雨
梅雨らしさがもどってきたようだな。
でも、最近大きなイベントをやっと終えたので、
今の雨は、クールダウンにはイイ感じ。。。

雨を見ながら思うのは、
やはり舞台方面へまた進み出そうかな〜っていうこと。
親父の血のせいかもしれませんが、
やはりそこには色々な魅力が潜んでいますね。

人を驚かせたり、感動させるのはかなりスリリング。
しかも、昔は舞台の上で、歌ったときも有った。。。
たまには歌うのも良いかもと思ってしまう。^^;

今って色んなことを伝えるのが難しい時代だけど、
本当に大事なモノを伝えようとすることを、
アーティストとしてのモチベーションにせねば。

ん〜、しっとり。。。

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ふけちん
伝えるのが難しい時代、って、
受け手の問題?それとも発信側?

これ、今の私の課題でもあります。
問答したい!
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michi
両方の問題だと思います。
その情報や価値観も色々と有るので言い方は難しいのですが、
大きく二つにわけて情報源を考えていくと、
日々の生活の中に有る情報とアーティストが発する情報(表現)。
双方にも同じようなことが言えると思います。

日々の情報というのは、テレビ、雑誌、新聞はじめ、
あらゆる所にある広告等、おびただしい広告。。。
情報過多になっているのは言うまでもない事実。。。
受けても送り手も、そこにエネルギーをかけて、
疲れてしまうと言うか、訳が分からない状態。
送り手は差別化や、インパクトを与えることを考え、
それ以上に、売れること、ビジネスのことを考える。
受けてはあまりの情報の多さに、選択能力や
主体性を失って、流されてしまうようになってる。

で、アートやアーティストなのですが、
上の情報過多や日本の豊かさはとても関係するけど、
僕らが発する情報がマスメディアや、広告媒体と
同じ位置に感じられるようになってきてること。
単に選択肢の一つというか、ステータスというか。。。
アーティストが表現者で居る必要性や、
何かを伝えようとすること、伝わる関係が難しい。

情報にみんなが慣れ過ぎちゃったのかな?
でもこういうときだからこそ、ちゃんと伝えることって、
大事になる気がするんですよね。

表現を受け取る感性というのは、お勉強ではなくて、
自分で見て、感じて、考えて育つモノであって、
お勉強をし過ぎると、それはつまらなくなるんだよね。
日本はお勉強をし過ぎていると思う。
美術館へ行っても勉強しなきゃ行けない。
それではそこにある楽しさや、奥行きは伝わらなし、
子供や勉強嫌いの若者がどんどん離れて行っちゃう。
美術館は、良くある説明なんか無くても良いと思うな。
この間ドイツへ行って、そんな説明無かったし、
(有っても読めなかったか)必要を感じなかった。
でもそれで良いじゃんって思いました。
広くて素敵な空間で、自由に色んなアートを見て、
喋って、写真撮って、感じて。。。(写真撮れるんだよ!)
日本もこうなると良いな。
2004年06月26日
21:55
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ふけちん

んんん。

人間は、腰ミノの時代は一日4時間働けば、飯がくえたそうな。
20年前の2000倍の情報が、我々の元に毎日舞ってくるそうな。
20年前の1/20の栄養素しかない食品を食べているそうな。

そんな、忙しく、豊さに欠ける時代に
>表現を受け取る感性というのは、お勉強ではなくて、
>自分で見て、感じて、考えて育つモノであって、
これを育てられる「人間の器」を
我々の世代は育てられるのだろうか?

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michi
育たないと、将来的に恐いな〜。
すでに色々と不安を覚えることもありますが、
別に悲観してあきらめるのではなく、
そこにエネルギーを注げることが、
新しい可能性になりそうで、楽しいかもね。
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by michiyuki917 | 2004-06-25 11:01 | I think
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