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カテゴリ:I think( 40 )
ロンドン一ヶ月経過
早いモノで、ロンドンへ来て、既に一ヶ月過ぎてしまいました。
何とかロンドンの様子も見えてきて、生活も慣れては来たけど、
やはり殆どコネクションが無くこっちに来てしまったので、
それを作って自分のアーティストとしてのペースがまだつかめてない。
確かにクラブイベントは明日も出演することになってたりするけど、
自分の普段のスタイルでやるわけではないし、出来ることも限られる。

ロンドン(ヨーロッパ)に居る時間は実質あと10ヶ月程度になり、
今のペースでは出来ることが半減しそうで、色々と考えねば。
とりあえず、少しずつ友達やネットワークは出来てきているので、
そこからの広がりを考えると同時に、また新しい方向も見つけねば。

先日国際交流基金のロンドンオフィスへお邪魔し、
VJの世界では有名なAddictiveTVを紹介して貰ってコンタクトしてみた。
そこの何人かは明日のイベントに遊びに来てくれるので色々と話す予定だが、
その前に自分のやっていることの映像などもネットを通じて見てもらってた。
そしたら僕の作品などを気に入ってくれたみたいで、
フランスの友人に早速僕を紹介してくれた。(僕の知らないところでね)
そしてそのフランスの友達の方から僕の方へコンタクトしてきてくれ、
もしかしたらパリ方面でのオファーが貰えそうな感じです。まだ未定。

でもそうやって気に入ってくれる人は居ることが分かったし、
自分のことに興味を持って貰えたことは自分の自信にもなる。
なので、僕自身のことと同時に、もっと効率的にやりたいことも伝えるべく、
英語で企画書を作らねばならないな〜っと痛切に感じる。
特にインターネットにおいてバイリンガルであることは凄く重要だし、
海外で活動したりイベントや公演をプロデュースするのであれば必要不可欠。
でもって色んな所へ積極的にアプローチしていこうと思います。
上のAddictive TVもそうですが、ヨーロッパというのは日本に比べ、
色んなモノの進むスピードが凄く速いし、ショートカットだと思った。
アポを取るのも日本のように窓口を探して、たらい回しにされ、
時間ばかりが必要のないところでかかってしまうのに比べ、
メール一本で簡単にトップの方にもアポが取れたりしてしまうのです。
そして気に入ってくれたりしたら直ぐに色々と動いてくれるし、
ブッキングもしてくれたりするから、そう言うところは凄く助かる。

もちろんそうではない部分も沢山あります。
待ち合わせの時間には遅れるのは当たり前だったりね。^^;
ゴミはその辺に平気で捨てたり、環境意識は低いとか。(笑)

話を戻すと、こういった環境に自分が居ると思うと、
やることや、情報収集の仕方も自然に変えていかねばならなくなる。
今どこへ出かけるにも必ず自分のプロモーションになるモノは持ち歩き、
いつ誰と会っても良い準備をするようになってます。
で、日本以上にどこかで誰かに会える可能性の高さを感じていて、
そう言うアンテナが少しずつ高くなってきたかもしれない。
美術館へ行っても、そこに居るスタッフに話しかけて、
そのまま作品について語り合ったりとか、日本では考えられなかった。

ただ、自分の中で増してくる積極性に対しての英語力が追いつかず、
それが日々の小さなストレスとして溜まってきている。
相方はそれでも俺が色んな人と話している様子に感心しているが、
僕としてはやはりもっと自分の意志をクリアに伝えたいし、
相手の言葉や意志を正確に捉えたいと思ってしまうわけです。
近頃本当に英語の為に学校にも行こうかと迷ってしまいます。
日々辞書が手放せないというのは悲しいですね。まあそれも勉強。

小さな子供が自分のことを伝えられなくてイライラしたり、
女の人が男が何を言いたいのか、何をしたいのか分からないとか、
その反対だったりとか、伝達することって言葉以上に大変。
それでも僕が色んな人と話したり、分かって貰えているのは、
人間関係の中で培ってきた、コミュニケーション能力だろうか。
自分で言うのは変かもしれないけど、僕は人と有る程度喋ると、
結構友達になってしまう。で、なるべく長くつきあいたいと思う。
特にこちらにいると日本人というのは確実にマイノリティで、
ある偏った環境の中に入ると妙に目立ったり存在感が出る。
どこの世界でもそうだと思うけど、特異なモノは目立つよね。
今はそれを売りにしても良いのかな〜って考えている。
パブでみんなとなじめたのも、僕らが有る意味目立っていたからで、
そう言うモノにはみんな声を掛けたり、興味も持つしね。
あとはそう言った反応が来たときに自分がどう対応できるか?
たとえ言葉が分からなかったりしても、それで逃げず、
ちゃんと相手のことを理解しようとしてしっかり聞いて、
こちらもしっかりそれに対して返していく。
当然のことなんだけど、日本人は割とそれが下手だったりする。
まあ女の子が一人で外人に囲まれたら怖いだろうけどね。
そう言う意味では僕が男でフラットに話が出来るのはよかった。

あぁ、ついでではないけど、男でよかったとは言うモノの、
僕はどうも男の人に口説かれることが多いんですよね。。。^^;
日本でも何度も誘われることが有って困ったけど、
ロンドンでもちょっと危険を感じることがよくある。
しかもこっちの人はもっと積極的だったりオープンで、
こちらもそれなりに警戒していないとトイレとか怖い。(笑)

などなど、そんなことも含めコミュニケーションについては
色々と考えさせられてしまいます。

さて、次の一ヶ月後にはどうなっているでしょうね?
お楽しみに〜。
by michiyuki917 | 2005-11-17 01:55 | I think
国際交流基金 / The Japan Foundation
今日は相方が知り合いに紹介してもらった人を訪ねて、
国際交流基金のロンドンオフィスへ行ってきました。
僕がもし日本からアーティストを呼んでツアーをしたり、
大きなイベントを興す場合には協力をお願いしたい場所。
とりあえず、顔を見せどんなことをやってきたのか、
これから何をやりたいのかをざっと説明してきました。
先日のconsciousや自分のプロモーションのDVDは勿論渡し、
活動する上で、協力して貰えそうな人も教えて貰いました。
これから実際にこちらで映像やイベントシーンで活動し、
ムーブメントの中心になりそうな所へ当たっていきます。

それと急いでやらないと行けないと思うのは、
英語で自分のイベントの企画書を作っておくこと。
今後プロデューサーやオーガナイザー、美術関係者や、
舞台関係者などとコンタクトした際に必須のアイテム。
英語力を付ける意味でもやっていかないとな〜。^^;

今日はマジで英語の勉強をしっかりせねばとノートも買い、
また少しやることが整理されてきた気がしました。
一年ってかなり短い!けど沢山種をまいて育てるぞ!
そして同時に自分も沢山成長していかねば!

国際交流基金 / The Japan Foundation_b0046388_10572938.jpg
こちらは行く途中にあった大英博物館ですね。まだ行ってない。。。
行かねばならないところが沢山あるのに、全然行けてないです。(汗)

国際交流基金 / The Japan Foundation_b0046388_1059070.jpg
これはその側でJapan Foundationの側にある公園ですが、
こういう水と緑の公園が色んな所にあってつい腰を下ろしたくなるね。

国際交流基金 / The Japan Foundation_b0046388_1103486.jpg
これは建物の中にあった螺旋階段を上から撮影したモノです。
オフィスのある6階ですが、実質7階の高さからですね。

そして帰りにはTottenham Court Roadにある韓国料理屋で食事。
近頃胃の調子を崩していたので優しいものが食べたいな〜、
お、クッパがある!それにしよう!って入ったのだけど、
ちゃんぽんの字に惹かれ変更!相方は石焼きビビンバを注文。
国際交流基金 / The Japan Foundation_b0046388_1151023.jpg
国際交流基金 / The Japan Foundation_b0046388_1133158.jpg
ところが出てきたチャンポンというのを見ると、あ、赤い。。。
僕は基本的に辛いのが苦手、しかも胃の調子が悪い。。。(冷汗)
でも頑張って食べました。辛かったけどでも美味しかった。
韓国だと言うことを忘れていた自分に後悔しましたが、
次回は辛さをコントロールしてもらう様に注文します。

店員が「味はどうだった?」って聞くから、
「美味しかったけど僕には辛かったよ」って伝えたら、
外国の人はみんなそう言うけど、韓国の人は平気だよ。
って、何の解決にもならない答えをくれた。^^;

でもべらぼうに高い日本料理やより適正な値段で良かった。
by michiyuki917 | 2005-11-08 23:48 | I think
あと11日
渡英までついに2週間を切り、焦っては来ているのだが、
どうもやることが片づいていってくれない。^^;
consciousのDVDはもう間もなくできあがりそうです。
自分のホームページもバイリンガルに変えなくては。。。
そして住むところは現地に入ってから決める予定だが、
下見をさせてもらうところをピックアップしなくては。
どこかおすすめ有るかな〜。ここに住んで欲しいとか。(笑)
正直イギリスは初上陸で地理的な感覚が全くない。^^;

荷物もかなりコンパクトにまとめていかないとな。
やっぱり一年行くってそれなりに準備が大変だよね。^^;
by michiyuki917 | 2005-10-02 18:09 | I think
人の命を救うということ。。。
 先日知人から一通のメールが来ました。

 それは難病を抱えた6歳の男の子が居て、それを治すためには心臓移植が必要であり、多額のお金がかかるので、募金やその情報を広めるのに協力して欲しいとのことでした。僕はしばらくそのメールに書いてあったアドレスにアクセスするのを躊躇っていました。
 確かに一人の小さな命を救うのには協力したいと思うし、見殺しにするのか?という良心に訴えられてしまう。だけどこの子が助けを必要としているのと同じように、もっと多くの人々が飢えたり、戦災にあったりして命を失って行ってしまう。僕の出入りする会社には孤児を救おうという募金箱も置いてあったりする。テレビでは24時間テレビなどで、その時その時募金のテーマが違ったりして、数限りない人々がお金を必要としている。いや、お金ではなく簡単な物資だけで救えることもあるし、手を差し伸べることが救うと言うことになる場合もある。
 貧しい国や環境に生まれた子供は、そのちょっとしたことを諦めさせられて、死に向かわざるを得ない。日本等の先進国と言われる所は資本だけでなく、メディアも発達していてそれらを集めやすい。そうでない貧しい国の人々はその境遇を恨まねばならないのだろうか?人を救うための医療には何故これほどお金が必要になってしまうのか?誰のための医療なの?誰を救いたいの?先進国は大金を軍事費につぎ込んでいるけど、人の命を奪うモノへお金を使えるモノが、何故人の命を救うことには使えないのだろうか?ミサイル一発で億単位のお金が飛ぶ。。。他にも馬鹿みたいなお金の使い方をしていることは山ほど有る。結局資本主義の行き着くところが見えてきてしまっている気がする。資本は資本に向いているのであって、人間ではない。方向を正せないのかな?もっと人や愛情に向かっている世界であって欲しい。
 手塚治虫のブラックジャックをふと思い出した。進学時にはその影響もあり、医者になるかアートの方へ進むか考えた時期があった。医者になったら彼のような志の有る治療をしたいと思ったし、貧しい人や救いを求める人に手を差し伸べられるようになろうと。今の医療を見ていたり、話を聞いていたりすると凄く情けなく悲しくなるときがある。

 今世界が、人間がしないといけないこと。それは平和でみんなが幸せだと思える世界に向かって行こうとすることだと思う。人がみんな自分から変わって愛をもって色んなことに接すること。友人から勧められて読んだ本で「アミ 小さな宇宙人」というのがある。その中には幸せや愛について考える・感じることが出来る内容が書いてありました。なかなかお勧めですので、良かったら見て下さい。

 そう、それで今回のメールをもらって凄く迷いました。有る額を出すとして、果たしてそれをどこに出したら一番幸せなのか?誰が幸せになるのか?助かるのか?ただ1つ言えることは、これは僕の持ち合わせた縁であり、可能性として人に紹介すること自体は悪く無いと思いました。なので、頂いたメールの一部をこのブログに載せてみようと思います。どこの国の人間だろうと動物だろうと虫だろうと1つの命で、比べることなんてとても出来ない。ただ、その1つの命から次の可能性が生まれてくることを信じて。

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『友輝(ゆうき)くんを救う会』
http://imai.itbdns.com/~yuuki/
携帯用
http://jns2.netfarm.ne.jp/~ab002586/index.cgi?site=2

友輝くんが心臓移植を受ける事が出来る様ご支援をお願い致します。

今井友輝くん(6歳)
心臓が拡張し死に至る原因不明の難病「拡張型心筋症」で
アメリカで早急に移植手術を受ける意外、助かる方法はありません。
手術費・渡航費等で6,000万円も必要です。

※時間があまり無く10月9日(日)までの募金活動です。
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by michiyuki917 | 2005-09-27 17:57 | I think
選挙いったさ
今日は選挙ということで、近所の小学校に行ってきました。
まあ小さな一票でも自分の意思表示をしないといけないし、
何事も小さな積み重ねからしか生まれないしね。

しかし、どうしてこう政治ってはっきりしないことが多いんだろう。
テレビも最近殆ど見ていないせいもあるけど、
どこかどういう方針なのか全然判らないときた。^^;
自民党に対してどうするか?郵政民営化についてどうこうとか、
シャープな切り口でズバッと行くところがどこにもない。
この間テレビで党首討論をやっていたのは見たけど、
その時の印象で全て決めたな。その番組は国会より面白いかも。
だって、国会っていっこうに話が進まないし、時間決まってて、
ろくな討論もしないで逃げられちゃうしね。
番組だと逃げようがないから、1人で話さざるおえない。
各政党の党首の力量や考え方などがかいま見えたかも。

あと、裁判官なんて、わかんね〜よ。^^;
かなり無責任でいい加減なものだよね、あれって。
誰も書かないか、全部×付けてやるかのどちらかだよ。
あと名前をみて悪そうだとか、人が良さそうだとかさ。(笑)
一度裁判官になったらよっぽどのことがなければ、
首は切れない仕組みになっているなんて素敵すぎる。
まあ、そんなの昔から判っていたことだけどね。

さて、嵐が来ているみたいだけど、
今日はこれから代官山のAirに行ってきます。
先日consciousに出演してトリのライブをしてくれたno.9と、
ku-ki、蟲の響、SUIなどで色々と手伝ってくれたり、
一緒に映像活動してきたwatoことyu-jiがライブです。
この間の僕とno.9でやったのとはまた違う感じだろうな。
結構楽しみです。あれ以来モチベーション上がってるし。

このイベントは「遊歩」というフリーDVDのイベントで、
この間初リリースしたばかりで、no.9もインタビュー受けてた。
それもなかなか面白いので、是非見てやって下さい。
watoの映像もあるしね。
俺もそのうち載せてもらおう。(笑)

ではAirで会えたら一緒に楽しみましょう!
by michiyuki917 | 2005-09-11 15:51 | I think
方言
mixiに実家の方のコミュニティがあって、そこに方言トピックが〜!
これがむちゃくちゃ面白い。多分よその人が読んだら分からない。^^;
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1631628

mixiに居る人は覗いてみて下さい。多分訳が分からないと思う。(笑)

いや〜、そこで連発される方言ば見よっぎん、戻ってきとるとです。
不通にしゃべりよっとに、方言の出てしまうごとなった。こがんふうに。^^;

ん〜、イギリスに行く前に波佐見(実家)に戻ってみたくなったばってん、
そがん時間も余裕もなかとやろね〜。
by michiyuki917 | 2005-09-07 14:35 | I think
鼻血が出そうです
あと3日に迫ってきてしまった。スパイラル公演。
しかし、そう思うとどうにもソワソワとしてしまうのです。
焦る気持ちやはやる気持ち。。。
頭が異常に回転しだし、まったく落ち着けない。
こんな興奮状態になっているのはかなり久しぶり。

何をして無くても手に汗をかき、意識が飛んでしまう。
自分をどう押さえてイイものか分からん。(汗)
気合の入り過ぎもイカンかもしれないけど、
久々のこのアドレナリンが出まくった状態を楽しもう。

当日どんな人相になっているかお楽しみに。(笑)
by michiyuki917 | 2005-08-24 19:25 | I think
残すのか、残るのか?
コーヘイさん
眠れなくなる夜をありがとう。(笑)
なんか別で語り合えるブログでも立ち上げましょうか? ^^;

>> 表現するための要素、つまり外部からの情報やそこから生まれる感情が僕らを動かすのであれば、
>> それには表現者として生かされているとも言えます。

> ここに、非常に重要な問題を含んでると思うのです。
> 「自分でやっているという」ということが、錯覚である可能性があるということです。
> 人間は簡単に錯覚します。

確かに人間は錯覚しやすい生き物ですね。
こうして話していることすらひょっとすると錯覚では?と思うこともあります。
そういう意味では、表現者は何かしらのアイデンティティが必要だと思います。
つまり自分の根本をきちんと見つめ、表現する目的や方向を捉えること。

> リアリティや確信ほど、疑わしいものはないと、思います。紫の点が緑に見えることだけが、事実だからです。

リアリティとうことの定義じたいがすごく難しいと思います。
同じモノがある人にとってはリアルだけど、一方ではそうではなかったりして、
そういった感覚的なリアリティはある種一過性で、永遠の形ではないからです。
色盲の人が間違っているという認識すら危ういのかもしれません。

> 例えば、アインシュタインは、「光は、波であるし、粒子でもある」といって、物理から生じる世界観をひっくり返しました。
> 「光」「波」「粒子」は、いわば、汎用ツールに相当すると、ぼくは、思います。中学生でもわかる、あたりまえの既製品です。
> しかし、このように組み合わさったとき、まったくそれまでに無かった概念が生じました。
> それは、量子論を生んだのです。それはまったく新しい世界観でした。

古代ギリシャ以来、物質が根本的に持つ要素が細分化され、行き着いた所ですね。

> つまり、汎用ツールでも、その枠からはみ出せる可能性が充分にあると思うのです。
> だから、例えば、自分のクリエイティビティの限界をツールのせいにするような場合、どうなの?一体?・・・とも、思うのです。

ツールで出来ることに頼った表現に陥った場合そういうことが往々にしておこりますね。
アインシュタインや研究者達が違うのは、ある明確な目的や方向があったから、
ツールを越えた所まで行き着くことが出来たとも言えます。
そういう意味で、クリエイティブな方向を目指す人にも同じ意識がある種必要です。
現在の問題というのはツールを「使う」のではなく、「使わされている」ことにあります。
それはクリエイターも日常のあらゆる道具を使う我々全てに当てはまります。
モノは「作る(創る)」ことが普通だった時代から、今や「使う」のが当然の時代です。
ただ本当に言い当てるとすると「使わされている」が適当だと思います。
経済も学問も創作も時間や効率を重んじる社会になり、
根本の部分はカットされ、ブラックな部分が実は多いということも見えない。

> それから、確かに、環境は千差万別ですよね。

> だからこそ、そういった部分からアプローチされる、オリジナリティの差を、ぼくは、逆に繊細に扱いたいです。
> 乱暴にひとくくり・・・例えば、ジャンル化とかは、とても乱暴というものですよね。
> 人に説明するのに、ちょっと話が短くなる程度しか役に立ちません。
> ジャンルの先駆者とか、、、、、まったく、価値がないのではないか、とも思います。

僕も全くその通りだと思います。
特に日本人はジャンル化して物事を認識しようとしがちです。
枠に当てはめて自分のわかる範囲の中に納めようとする行為ですし、
オリジナリティや人のアイデンティティを全く認めていないとも言えます。

昔の哲学者は物理学者で数学者で建築家だったりしました。
でも別におかしなことではなく自然に繋がったことだったのだと思います。

> ところで、人間性や生き方は、「内面」の問題なのでしょうか?
> ぼくは、これも、アウトプットでしかないのだと思います。
> 人間性や生き方は、「内面に蓄積していく」・・・・
> しかし、ですよ、
> 極端な話を持ち出しますが、もし、自分が死んでしまったら・・・・自分の中にには、何も残らないですよね。
> 自分が死んだら、自分の体を開いて、作品を取り出したり、
> 自分の脳にビデオケーブルを突っ込んで作品を上映することはいまのところできません。
> 自分の人間性や生き方は、すべて、作品や日記や部屋や、洋服や、他人の記憶・・・・
> すべて、自分の外側の環境に、やっぱり還流しているに過ぎないと、ぼくは、いま仮定しています。

人間性や生き方は内面であり、環境であると思います。
環境は自分で創造できると言ったかと思いますが、それはある種の蓄積です。
もし自分が死んでしまった後のアイデンティティはどこにあるか?
ある意味でそれは消滅するし、ある意味でそれは永遠に残ると思います。
作品についてもそれは同じでモノは残っていたとしても作者は残っていない。
これはその人が残ったことになるのか?

僕は残す残さないという考え方で言うと、なんのために残すのか?
まずそれが先に問われるべきかと思います。そして何を残すのか?
人間は死んで肉体を失いますが、それはモノも一緒だと思います。
彫刻や建築や物理的なモノは確かにリアルな存在としてそこに在りますが、
それすら時間の経過や、必要不要によって無くなったりします。
それに大事なのは遺跡や文化遺産として残すことではなく、
何故その時にそのモノが創られ、どういう環境を生み出したのか?

ギリシャの哲学者ソクラテスは自分では一切著書を残しませんでした。
でも彼は哲学の始祖としてあがめられ、今日でも彼の考えについて語られます。
それは何故か?
彼が残したのはモノではなく思想であり、それはモノ以上に強烈でした。
弟子のプラトンがそれを残して、その学生のアリストテレスが。。。と続きます。

僕はその話を入れたとき、凄く響いてしまいました。
紀元前に語られたモノが今にもちゃんと息づいている。
僕らが作る「モノ」というのはいったいどれだけの時間在ることができるか?
もし戦争や災害で色んなモノを失ったときに何が残るのか?

> 実は、自分の内面には、なにも蓄積できないのではないか。
だから、いくら、内面にいろいろ蓄えておいても、おそらくフルボディ・フルフェイス・声帯手術で、
> まったく別人になったぼくのことを、「コーヘイ」であると認知してくれる人は、・・・・
> いないのではないかと思うのです。パーソナリティは、外見の変化で、こっぱ微塵になるかもしれない。

> でも、外側にアウトプットされた「自分」こそが、意外にも、「自分」の本質でありつづけるのではないか・・・
> それは、生死という時間期限でさえ越えられる。

うん、この辺は面白いところですね。
先ほどの先人についてもそうですが、死んだときにどう語られるかというと、
細かい顔や声などではなくやはりその人の生き方、思想ではないかな?
よく葬式では故人の話をしますが、顔や体型はあまり語られない気がします。
そこを観ると自分の存在と言うのがかいま見れそうです。

> 内面に蓄えてるものが何かあるとすれば、「記憶」がありそうです。
> 内面を磨く時、「記憶」を増やしてる・・・・わけではないですよね。
> 暗記ばかりしても、つまんない人間になりますから。
> 「経験」が生き方や人間性をつくるのでしょうか。すると、やはり、自分=環境という図式に返ってしまいます。

内面というのは、ぬか床や秘伝の400年続くたれみたいなモノで、
それにどう手を加え続けていくかで継続もすれば変化もすると思います。
大事に扱うかどうかで後々も変わってきてしまいますし、
環境によってはほんとうにどうとでも変わってしまうモノだと思います。
記憶というのも凄く曖昧で流れ去りやすいモノで変わりやすい。
どう熟成させその為の環境を作ってあげるか、どんなエッセンスを加えるか。。。

> あと、いろいろ考えて、「作品を向上させたい」「仕事の成果を向上させたい」という命題を果たしたいのなら、
> 「環境設定」を変えるのが、一番いいし、もっともパワフルな効果があると、思いました。
> 「環境」の影響どころから、「環境」を変えたことが、すでに、「自分」が変化した証拠になるかもしれません。
> こういう状態を、シンクロニシティ(同期)というのではないでしょうか。

うんうん。

> ・・・著作権というのは、やっぱり、ムリがあるんだろうなぁぁぁぁ、、、、
どうせ、今自分が生きているわずかの間と、せいぜい孫くらいまでですよ。(笑)
それのためにバタバタするよりも、沢山考えて沢山創った方が良いのかも。^^;


あなたとわたし さん
> 結局、ぼくは思うのですが、
> 「自分」=というの肉体に収まってるワケではなく、広大な空間にペローンと拡がったり、
> 時間にヘビにようにビローンとした横たわった、とてつもなく薄くて広い存在なのではないかと。

おもしろいですね。
出来たらもう少し説明してもらえますか?

> すると、もちろん、他人も、自分自身に含まれてしまうことに、、、、なりそうです。
> そうなると、生かされてる・・・・どころではないです。。。。

あらゆることは関係していると思います。
当然自分の周辺に居る人や環境もそうですし、遠く離れた地球の裏側でもです。
人間1人でもしかしたら凄いことが起きたり起こせる可能性もありますね。

ん〜、世界はわからないことだらけで面白ですね!
だから人間は学ぼうとするし何かを求めてしまうのでしょう。
by michiyuki917 | 2005-06-08 06:01 | I think
生きているのか、生かされているのか
少し前の内容でかなりヒートアップして長くなってきているので、別に改めます。
ちょっと内容も変わりつつあり、だいぶ哲学的になってきました。^^;

<皆に生かされている>のなら、<皆によって描かされている>し、<皆によって作曲させられている>し、<皆によって、つまみを操作させらている>し、<皆「から、思いつきを与えられてる>わけですよね。

僕が思うに、表現者としての立場と、日々を生きているのとでは、一致する部分と、一致しない部分があると思います。生命体として生きていて、生かされていて。表現者として生きていて、生かされている。どんな観点から語るかでも内容は変わってきそう。。。
人の感情が怒っているときもあれば喜ぶときがあるように、受けるモノと行為に走る方向は必ずしも同じではないし、わーって怒りの絵を描くことも有れば、喜んで踊り狂うという方向に行くかもしれない。「生かされている」というのは、凄くマクロな視点での自分の存在を表していて、「クリエイトする」という行為はミクロなポジションでそれを表しているのだと思います。
上手くまとまらないのですが、僕らは常に何かをインプットしていて、それをアウトプットすることが表現だとすれば、インプットする何かというのは、自分の周りの環境であり、人であったり、外部からの情報であります。「皆に」という言葉が変な誤解を生むのかもしれないけど、「皆」というのは人だけではなく、様々な自分を取り巻く環境そのものだと思います。そしてその環境は勿論自分で創ることも出来るわけですが、自分のエゴのみで出来るモノではなく、色んな関係、つまり何かの一部になったり繋がりを創ったりすることで環境はできあがっていきます。反対に表現というのは、エゴそのものなのかもしれません。
表現するための要素、つまり外部からの情報やそこから生まれる感情が僕らを動かすのであれば、それには表現者として生かされているとも言えます。
それで僕が一番感じる重要なことは、人間というのはパイプやざるの様に入ったものをそのまま出す生き物ではなく、フィルターとして入ったものを浄化したり変質させたり、全く別のモノを生み出したりするような、ある種ケミカルな要素を持っています。
プリミティブな動物でもほ乳類でも、何かを体内に入れてそれを排泄物として外部に別の形ではき出しますが、それで生命としての環境というのは回っていきます。人間はその枠からかなり外れだしていますが、代わりに情報を取り入れて排泄しているような絵も描けるかもしれませんね。それでアウトぷっとするからには、外部に更なる影響を与えたい訳で、それが連鎖反応して、「智」や「情報」の生態系を生み出す。人と会話をするのもそういう感覚がないですか?喋れば喋る程、自分の中のモノが浄化されたり、お互いの考えが前に進んでいったり、巡り巡っている感覚。こうして文章を書いているだけでも僕の中では色んな化学変化が起こっていて、何かが沸いてきそうです。(笑)  そういう意味でも色んなことに感謝できそうです。

単純に生かしているとか、生かされているとか考えること自体が可笑しいのかもしれませんね。それこそ人間のエゴ的な感覚ではないかな。

> 自分は、単なる作用点にしかすぎないのに、例えば、自分オリジナルな作家性を追求することに、矛盾や虚しさは感じないでしょうか。

オリジナルな作家性や作品。これはまたちょっと違うイメージが僕にはあります。
昔はオリジナルというのは表現方法だったり、色味だったり、形だったりを考えていましたが、「今は何を言いたいか?」「何を思ったか」それをどう持って、どう実践しているかが問題な気がします。表現手法としてのオリジナリティが生まれる可能性というのは限りなく不可能とも言えますが、反対に表現する行為自体は無限だとも言えます。つまり同じツールや手法を使っていたらその枠から出ることは出来ないし、枠の中での表現はオリジナルでは無いとも言えるかもしれません。だけど、枠を考えずに表現したいモノを考えた場合、人の思考や環境というのは千差万別でみんなオリジナルであると言えると思います。(多分。。。)ただ、枠の中にいるだけでそのことに安心して満足しているとしたら、ただのマスターベーションで気持ち悪いですね。

生き方や人間性というのが表現者の要素としてかなり大切なのだと思いますが、それってやはり作品に顕著に表れるモノで、「生き方」「人間性」をどう高めてクリエイトしていくかで表現されるモノも大きく変わっていくと思います。役者、写真家。絵描き、音楽家、映像、彫刻、書、はたまた何かの企画書や手紙、料理に至るまで、それはかなりの割合で作者を反映しています。良い作品、オリジナルなモノを生み出したいのであれば、まず自分をどう磨いてどう高めていけるか。僕は他者に対して出来るだけ優しくありたいと思っているし、逆にそういう同じような気持ちを感じてもらおうと思って、そういう作品を創るには、自分がそういうモノを持たないと行けない。背伸びしたり、難しい表現を使うことで人間が豊かになるのであればそれはそれで良いかもしれないけど、結果そうなっていないと思います。技術を持っている人は居ますが、技術を見せることで感動するのは同業者くらいで、もっと単純に人を動かすにはそこの下にある、人間性や気持ち。つまりそれがオリジナリティとして、人を感動させられる様になるのではないかな。

ん〜、いまいちすっきり答えられてないな。。。
by michiyuki917 | 2005-06-05 02:47 | I think
いまどきの日本人
近頃友人のブログで色んな人の素行や会話についての話題が出ていて、
まあ僕なりに色々と思うところも有るというわけであります。

若い人も年取った人も僕にとっては同じで、「若いから」「古いから」はない。
マナーが悪い子供や、無関心な大人、変な建前や他人の詮索。。。
色んな流れの中で全てが有機的に絡み、今の日本(東京)の人々が生み出る。
お金でバブルがあったように、今は情報のバブルが崩れていると思う。
様々な情報は膨大に膨れあがり、人々はそれに右往左往してしまい、
あり得ないこと、悲惨なこと、面白くもないこと、嘘八百がリアルに語られ、
徐々にそんな情報が虚しいモノだと気づきつつあるが、抜けられない。。。
そこに頼ることに慣れてしまい、思考することを奪われてしまい、無気力に。
何をしても手応えがない、何にも興味がわかない、他人を気にしない。

雑誌やテレビなどのメディアが増えれば増えるほど、情報は陳腐になり、
嘘や歪められた情報、価値が対してないモノを祭り上げるしかないジレンマ。
何を信じ、どこへ向かえばいいか、どうしたらよくなるのか。。。

とりあえず、皆と歩調を合わせ、自分はグループから逸脱しないように、
周囲から変な目で見られないようにバランスを取ることに専念する。
会話は面白くなくても面白がっているように相づちを打つ、
みんながすること、持っているモノは自分も持っていないと不安。
物量、情報量は人よりも多ければ多いほど良くて、優位だと思う。
自分の下に人を作り、しかし献上して同じラインに保たせるのがステータス。

多すぎる人、多すぎる情報、そこに何かを投げかけることの空しさ、無力さ。
自分が巨大なグループに属してしまえば属すほど、無力さが増し、
そこから抜け出る方法を失っていく。自分の無力さに命を絶つことも考える。
増える鬱病。今や多くの人がそんな無気力や鬱病の予備軍になっている。
何かアクションを起こしても何も反応がない社会。。。
悪さをしても誰もしからないどころか、無関心で他人事。
渋谷駅で切符を入れずに平気で改札をまたいでいく女の子達。
きっとお金がない訳ではないのだろう、ただ面倒くさかったり、
みんなやっているし、別に自分1人やったってどうってこと無い。
後ろの人が通れなくなり、むっとしていても知らんぷりで携帯に向かう。

今、日本人はリアルなモノよりも、与えられたバーチャルな情報に向き、
生身やリアクションのあるモノに飢え、あるいはそれに怯えてしまう状態。
親子の関係ですらそうで、子供に嫌われたくない親は本気で怒れない。
一度ぶつかると全てが壊れてしまうような気がしてしまい、
壊してから再構築することが出来ず、本当に怯えているのだと思う。
子供はそれが解ってしまい、親が恐くない。逆に何でも言えてしまう。
大人を手玉に取ることを早くから覚えてしまい、抑制することを知らない。
学校でも教師は子供をしかれなくなり、コントロール不能。


ドキッとすること、涙すること、痛みを感じること、恐いと思うこと、
心から喜ぶこと、情熱を燃やすこと、身体でぶつかること、
好きになること、嫌いになること、なぜ?と思うこと、興味を持つこと。
我慢すること、人を思いやること、自分を思いやること、気づくこと。


答えは目の前に有り、テレビや雑誌や学校にあるのではない。
自分の中を見つめて、そこから周りに目を向け、感じること。

可能性は無限であり、限界を作るのは自分だと言うことに気づかないと。
幸せの形も自分で見つけないと本当の幸せではない。
幾ら本を読んで、幸せになるための方法や情報を取り入れてもだめ。
マニュアルに自分を閉じこめてその枠にいることに安心しているだけ。
「こういう状態にいるから自分は幸せなんだ〜」ってそれはただの状態。
自分で敷いたレールや目標を創り、それを成し遂げた時に感じる気持ち。
本気で何かに取り組んだときには、沸き上がるような喜びがあるし、
反対に涙が出る程悔しかったり、大きな心の揺れ動きというのがある。
人間は心がある生き物であり、心が揺れないといけないんだと思う。
別に波瀾万丈の人生を送ると言うことではなくて、
常に心が開いていて、感じるられる状態、裸の状態。
安全な情報の中だけにいては、大きな刺激がないのは当然。

触らずに置いてあるモノには埃も被るし、錆もする。
もっと風雨にさらして磨きをかけないと、本当には輝いてこない。

お金を持っている男、おしゃれな人、顔のいい人、
スタイルのいい人、地位を持っている人間、そんな人がかっこいい?
そうじゃない、本気で何かに必死になる人に対して、人は心を動かす。
状態に心を動かすのは、そういう情報に当てはめて安心したいだけ。

必死に悩んで、必死に何かに恋をして、必死にもがく。
そんな姿が自分の周囲で沢山見れる様になったらどうだろう。
本当にそんな大人が増えていく社会であって欲しいもの。。。

そして自分はそうありたいと思うわけです。

(ん〜、やはり、何だか徒然な感じになってしまった。。。^^;)
by michiyuki917 | 2005-06-03 03:14 | I think