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カテゴリ:I think( 40 )
言葉
言葉で自分の考えや気持ちを伝えるのはすごく難しい。
変なことだけど、僕は自分で考えていることや、伝えたいことと、
口から出てくる言葉というものが一致しないことがしばしばある。
だから、アーティストや表現者は別の方法で伝達するのだろうが、
それにしても言葉というモノは、時々とてもやっかいに思えてしまう。

特に、人間という生き物は、言葉を主な伝達方法をにしていて、
それ以外の伝達方法は別次元のモノになってしまう。
イルカはイメージ(=ビジュアル)でコミュニケートするという。
自分にもそんな伝達が出来ないかとつい考えてしまうのだが、
まだそんな域にはとうてい達することは難しそうだ。。。

言葉やそれを視覚化した文字というものがあるせいで、
人間は多くの他と考え方を共有したり、伝達するようになった。
でも反面、視覚化された文字の強さというのは圧倒的で、
論理化されたモノは、それがすべてにさえ感じられることがある。
文字に限らず、言葉もそうだが、同じモノを全く反対にも言え、
しかもそれが正しいと感じさせてしまう魔力をも持っている。
絶対であるかの様で、反対に絶対でないモノを絶対にしている。

説明をすればするほど、しゃべれば喋るほどその溝は深くなり、
僕は言葉の虚構の中へと迷い込んでいってしまう。

もっと詩のように語り、捕らえたいと思う。
言葉は言の葉であり、もっと自由に漂って欲しい。
言葉によって、もっとイメージが広がるのであれば素晴らしいが、
反対に言葉によってそれが狭められ、限定されるのは虚しい。

言葉で表現できないモノ、伝えられないコトが沢山ある。。。
by michiyuki917 | 2004-11-13 23:50 | I think
映像の可能性
最近自分に対して、VJという言葉をめっきり使わなくなった。
何をやっているのかと聞かれると、色々・・・、とか映像使った演出かな?
見たいな受け答えをするようになっている。

そもそも僕が映像をやり出したのは、イベントのku-kiを立ち上げ、
そこでイベントの演出をする中で、最初は人の映像を考えていたが、
演出するなら、それにあった映像を自分で作ってみるか〜。
そこが僕が映像を中心に活動するきっかけになったわけだです。
(正確には学生時代にも映像を使った作品を作っている)
自分が煮詰まったとき、原点に戻ろうとすると、
先ず、映像は外して考えて行かないと最近は良く思う。
特に最近色々とイベントや演出を考える場合、
映像のソース自体を考えるよりも、どう見せるか?
どうやって、オーディエンスを巻き込み、面白い空間を創るか?
なので、制作する時間よりも、空間のプランニングとイメージ作りに、
時間を割き、結果あまり映像は凝ったモノを作るよりも、
ミニマルで大きな動きのモノを作るようになってきている。

映像という素材。
僕にとっては元々空間や、インスタレーションをする為の素材で、
特に最近は光としてどう見せていくかが課題になっている。
細かく作り込み、映像として見せるのは他の沢山のVJや、
映像作家に任せて、僕はそれをいかに二次的に処理するか?
そこに面白さと、可能性を見いだしているわけです。
映像〜って思うと、四角い枠に捕らわれ、素材に捕らわれ、
そこから抜け出し表現としての広がりを見つけるのに苦労する。
これほど、映像という素材がそこここに溢れかえっている今、
その中に自分のアイデンティティや、オリジナリティを見つけること、
それは音楽等にも言えるのだろうが、非常に困難に思う。
溢れすぎたが故の不幸のようにも思う。

今、色々と勉強することは沢山の情報を見て詰め込み、
それを技術や理論として取り入れることが本流としてある。
だが、僕らがやることは教科書通りの勉強をして、
その高めた技術、技法を披露することではない。
コンピュータが取り入れられた頃、どういう問題が起こるか考えた。
特にクリエイティブな分野に関して言うと、それはツールとして、
広がる可能性と、そこに縛られる可能性が同居している。
実際多くのクリエーターがそこからどう脱却し、
他との違いや、自分らしさを出すかに四苦八苦している様だ。
その中でもがけばもがくほど、のめり込むようにも思う。
まあ、それは絵筆や彫刻刀を持っても同じことが言えるが、
それよりも他に依存してしまう部分が異常に大きい。

映像にも同じことが言えるように思うのだが、
真新しさ、インパクトというのは、次第に薄れる程度のモノで、
深く人の心理に刻み込むことはとても難しい。
クラブでの映像の大部分は見ることを流されがちである。
自分も以前まで普通にVJをやっていたときは異様な空しさを感じた。

今は映像を空間として捕らえさせることに挑戦し、
狭い視覚からではなく、大きな空間を動かすことで、
見るものに体験的な映像の表現を見せようとしている。
これもまだトライ&アウトを繰り返しているが、
いずれそれほど面白く無くなってしまうのかもしれない。
自分の中で新鮮さが失われたとき、それは終わるだろう。
でも、今はまだ自分自身やることへの緊張感や、
試してみたいことが沢山残されていて、興味は尽きない。
だが、まだ映像の素材を活かし、表現へ到る道は遠いのか、
自分の中で突き抜けていく何かが欲しい。

今週末の金曜日には三人の映像をミックスし、
それを多元的に使い、見せない映像をぶつける予定です。
もし、僕のそのパフォーマンスを見てもらえたら、
その辺についても色々と感想を聞かせて下さい。


見る人の心に残せるかどうか、それがボーダーライン。
by michiyuki917 | 2004-11-02 12:50 | I think
フィリピンの子供と祖母
何故思い出したか分からないが、
昨年フィリピンへ行ったときの風景を思い出した。

近年目覚ましい近代化の波が押し寄せているフィリピン。
だが、昔の日本の風景を思い起こさせる裏通りがあり、
それと一本道を隔てただけのメインストリート。
そこここを小さな子供達が行き来している。
ホテルを出る客の荷物を頼みもしないのに運ぼうとする。
また、人の服をはらって、埃を取ったりする。
そして不安げな瞳で大人達を見つめる二つのかすかな光。

夜遅い時間に町へ出ると、子供達がまだ遊んでいる。
そばを通ると、何か恵んでくれと悪びれることなく、
気軽に、まるで挨拶をするかの様に声をかけてくる。
それが彼らの日常であり、当然の習慣になっているようだ。
小学校に上がる前くらいの幼い子供たちが、
日々を生きるために、わずかな小銭を稼ぐために。

その一方、彼らは基本的に底抜けに明るい民族である。
何に対しても前向きで、決してうじうじとしない。
とにかく、人なつこく、誰とでも奇策にしゃべり、
本当に楽しそうに笑い、からっとしている。

そんな子供に僕も持っている小銭をあげたい衝動、
そしてそっと手を繋ぎたい衝動にかられ、
何とも言えない感情がこみ上げてくるのだが、
それをどこへぶつけて良いか分からなくなってしまう。
彼らから差し出される小さな手を黙殺するとき、
そんな彼らと自分を思い、涙してしまった。

僕の祖母はフィリピンの出身。スペイン系の家系で、
かなり裕福な家に生まれ育ってきた。
戦後周りの非難を浴びながら日本人の祖父と日本へ。
それから、一言では語れないほど壮絶な日々を過ごし、
子供四人を、言葉も分からない国で育ててきた。
自分の収入も決して多くはなかっただろうが、
その一部と、古着などを毎月フィリピンへ送っている。
そういった活動は関西方面でしっかりと根付き、
今では多くのフィリピン人のマミーと呼ばれ、
日比の関係ではとても重要な人物になっている。

彼女の人生は相互の理解の為に働きかける日々で、
日本へ就労を希望するフィリピン人の窓口にもなった。
こっちへ来たフィリピン人達のあらゆる相談を聞き、
そして粉骨砕身に手をさしのべ助けてきた。
本当に自分を犠牲にしながら人の為に生きてきた人だ。

何故だろうか?
フィリピンの子供と、この祖母の姿が頭をよぎった。
ただ、僕の父と同じ様に、僕にもそこにルーツがある。
by michiyuki917 | 2004-10-27 02:42 | I think
テレビを通して
ここ数年自分の家(部屋)にはテレビを置かず、
引かずで、だいぶ縁遠い生活をしています。
でも考えると僕は小さい頃もそうでした。。。

母親はある時、家からテレビというモノを消しました。
それを見ることになれていた僕ら兄弟のショックは大きく、
外界から孤立するような恐怖に襲われました。
なので、見たい番組は人の家に上がり込んだりして、
意地になって見に行った記憶があります。

中学時代に再びテレビが有った時期がしばらくあり、
その時も子供達のあまりのテレビへの依存に対し、
母親はテレビの電源ケーブルを切ってくれました。
でも僕は抵抗して切れたケーブルを一生懸命つなぐ、
すると再び母親にケーブルを切られるという格闘。

ふとその頃のことを思い出しましたが、
今はその時の母親の気持ちがすごく分かるし、
僕と正面から戦ってくれた母にとても感謝している。

テレビという媒体の持つ恐ろしさというのは、
その気づかないうちにつかんでしまう依存性にあり、
人の意志や、想像力、時間を極端にむしばむ。
特に子供時代における依存はかなり恐ろしく、
ゲームや携帯電話しかりである。

依存と言うことは人間に取って非常に楽で、
ある時は逆に危険な強さにすらなってしまう。
それはテレビだけに限らず、人間生活自体に有ると思う。
今の社会というのはあらゆるシステムに支配され、
何かに依存させようとして成り立っていて、
いかに人間の心理にたいしてそれを働きかけるか。
モノを購買させる、目を引かせる、意識させる。
それは概念を持つ人間という生き物独特の部分を、
巧みに使い、ルールを持たせ、枠を築く。
周りを見渡すとその枠だらけになっていることが分かる。

お金、物、友達、学校、仕事、趣味、家族。。。
こうでなければならない、こうでないと幸せでない。
そういう枠の中に納めさせ、そこに居るうちは安泰で、
そうでなければ不安を感じさせるシステムになっている。
人は持っているけど自分は持っていないことの恐怖。。。
他人と比較することで生まれる自分のポジション。
そんなことにいったい何の価値があり、何が生まれるのか。
ただ、惰性と消費の繰り返しで、ごまかしの安心。
とても己というアイデンティティは生まれそうもない。
何かそれらしいことがあってもそれは何かのコピーで、
すべての人が結局同質に見えることに気づくだろうか?

最近町の女性を見て、ブランドなどで綺麗に着飾ったり、
取り繕った人を見るとどうも興味がわかなくなる。
確かに綺麗な人に遭遇することは多くなってきたが、
どんな人も後々の自分の記憶には残ってこない。
みんなが同じ顔や姿に思えてならない。
それはもちろん男性も同じコトが言える。

一世を風靡したマトリクスという映画があったが、
あの映画の中で、現実を見る勇気があるかどうか?
それを問われ、その現実を見ていくというのがある。
あれはコンピュータとかSFとかいう枠の話でなく、
そんな画一化され、エコノミックアニマルと化した、
現代の人間、システムに対しての絵が見える。
あそこでコンピュータに支配され、
システムのエネルギーとして吸い上げらる人間。。。
その一部に自分が居ることすら気づけない。
今の僕らの社会の鏡の様に思えてこないだろうか?

テレビから話がだいぶそれてしまったが、
そこにあることの安心感、属すことの安堵感。
人間の概念が生み出した虚像を取り巻く話題。
現代人の想像力の欠乏にテレビは一役買っている。
別にそれ自体すべてを否定するわけではないが、
それがどういう物かを理解して見る能力が要らないか?
特にそこに見えるルールや正義はまったく恐ろしく、
情報を流す側のモラルはあまり見て取れない。
中途半端な情報は決して人間を豊かにしない。
それを鵜呑みにし、その通りに無理に振る舞う、
その不自然さ、矛盾にもっと気づくべきだと思う。

確かに素晴らしい映像を見せてもらったり、
感動を覚える番組も沢山あるのは分かるが、
その表面的な情報を見て、分かった気になる心理。
そこに非常に大きなひずみを感じてしまう。

もちろん自分もその中の一人かもしれない。。。
by michiyuki917 | 2004-10-22 04:48 | I think
なぜ台風?
前代未聞の数で台風が日本に上陸しているようですが、
なぜ、こうも台風が多いのでしょうね?
何かそれなりの理由も有るのではないかと思ってしまう。

予定していたモノも、この台風で延期になる始末。
って、先週延期したモノだから二週以上延期になってまう。
来週の末から自宅は展示会場になる為、準備もせねば。
土日はぱ〜っと晴れてくれることを願うばかりだな。。。
by michiyuki917 | 2004-10-20 14:42 | I think
イルカと、海へ還る日
先日古本屋で見つけたこの本。
グランブルーでおなじみのジャック・マイヨールの本ですが、
以前から彼の本を読みたいと思っていて手が伸びました。
さて、僕も良く海で素潜りをするのですが、
ジャックは(あえてジャックと呼ぶ)その道を探求し、
同時に人間として、生き物としての海との関わり方、
さらに地球との関わり方、自分のポジション。
そういった禅やヨガの様に、悟りへ向かうようでした。

ここで出てくる人の意識にすごく興味を持ちました。
「呼吸をする意識」それを意識しいないことによって、
呼吸をする時間を伸ばし、また酸素の使い方を変える。
人間の意識がじゃまをしている感覚や構造を引き出し、
より深い部分まで感覚を解放していく。。。

これをすることで彼は今までの常識や科学を覆し、
新たな領域を切り開いていたわけですね。
この人が先日亡くなってしまったのはとても残念ですが、
こういう本を読む限りに置いて、僕が思うに、
彼は自分がどうすべきか知っていて、
それに従ったのではないかと思います。

イルカと会話をし、転じて海や地球と会話を始めたジャック。
彼の生き方、哲学には考えさせられることが多いな。
by michiyuki917 | 2004-10-18 16:28 | I think
高校受験
今日電車の中吊りを何気なく見ていたら、
その車両の広告はすべて高校の案内だった。
もう少しシーズンがずれてくると、
今度は大学だらけの車両も現れるわけだ。
今どんどん少子化が進んでいて、
生徒を集めるのも大変なのかな〜。
そのうち受験戦争は学校がするものになるね。

駅の広告で言えば、近頃雑誌の新創刊が、
むちゃくちゃ多い気がする。
表参道の駅とかだと、新創刊の広告が、
週替わりで行われている気もしてしまう。。。
雑誌媒体はすごい勢いで増えているみたいだけど、
業界全体での売れ行きってそんなに良いのかな?
OL、女子高生やはじめ、日本人は情報収集にかけては、
一生懸命頑張るからな〜、売れるのか。。。

って思う、ぷち分析しがちな今日この頃。。。

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2004年09月28日
10:36
TOJO

雑誌は最近売れてないみたいね…
そういえばおれも最近買ってないなぁ〜
昔は何冊も買ってたのに(笑)

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2004年09月28日
10:58
michi

俺もあまり買ってないですね。
情報から逃げ出したいのですよ。
最近テレビもほとんど見ないですしね。
見てもくだらなすぎて虚しくなる。^^;

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2004年09月28日
23:33
アッツミ−

昔のテレビ番組が時々見たくなるね。
特に深夜番組。
ぼけーっと見ていたゆとりが懐かしい・・・

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2004年09月29日
07:32
michi

だね〜。
昔の方が面白かったかも。
by michiyuki917 | 2004-09-28 10:25 | I think
(汗)
久々に?忙しさが押し寄せてきてます。。。
でも、仕事ではない。。。
最近仕事以外での忙しさが増えてきて、
お金にならないプロジェクトや、
イベントの準備に追われてきました。

ちなみに明日は幼稚園(保育園)プロジェクト!
子供達を相手に映像や、写真をはじめとした、
アートプログラムを作ってみているのです。
でも、結構小さな子供を相手にするのは刺激的。
どういう反応がくるかは全く予測不能ですので、
現場でいかにフレキシブルに対応できるか。
大人以上に反応がダイレクトに返ってくるので、
結果がかなりわかりやすいです。^^;
さて、その準備にかからねば。ドキドキ。

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2004年08月11日
12:58
K-suke

また面白そうなことやってるなあ。

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2004年08月11日
13:48
michi

子供相手のワークショップ?
みたいな感じですが、逆に見られている感じが恐い。^^;
でも、子供相手にこっちがびびってはいけないのです。
おらおら〜ガキども〜!!!ってやってきます。(笑)

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2004年08月12日
14:43
アッキー

おー面白そうだねー!
この前言ってたやつかな??
by michiyuki917 | 2004-08-11 10:46 | I think
誕生日
最近、同じ誕生日の人に会うことが多くなってきました。
これはなんか不思議な気分です。
それまで前後の誕生日の人はいたのに、同じはここ最近になってから。

最初イベントのスタッフの子からはじまり、同じ会社の人、そしてイベントつながり
の共演者で、ついに生まれ歳まで一緒の人が現れてしまいました。ついでに言うと、
今度の共演VJのフケさんの弟さんも一緒でした。

ん〜、これは何かあるな。
ちなみに誕生日は、1974年9月17日
今度同じ誕生日の人を集めてパーティしたいな。(笑)
誰か知り合いで同じ人いたら教えてくださいませ。m(__)m

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2004年07月04日
22:56
ふけちん

コミュ作れば?笑。

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2004年07月05日
03:35
michi

やっぱそうだよね。(笑)
9.17作ります。でもここでは誰も居なかったりね。
先ずはみんなを誘わねばだな。^^;

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2004年07月05日
11:10
ふけちん

うちの弟、PC持ってないのよ。
脱落。汗。
by michiyuki917 | 2004-07-04 15:42 | I think
久々の雨
梅雨らしさがもどってきたようだな。
でも、最近大きなイベントをやっと終えたので、
今の雨は、クールダウンにはイイ感じ。。。

雨を見ながら思うのは、
やはり舞台方面へまた進み出そうかな〜っていうこと。
親父の血のせいかもしれませんが、
やはりそこには色々な魅力が潜んでいますね。

人を驚かせたり、感動させるのはかなりスリリング。
しかも、昔は舞台の上で、歌ったときも有った。。。
たまには歌うのも良いかもと思ってしまう。^^;

今って色んなことを伝えるのが難しい時代だけど、
本当に大事なモノを伝えようとすることを、
アーティストとしてのモチベーションにせねば。

ん〜、しっとり。。。

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ふけちん
伝えるのが難しい時代、って、
受け手の問題?それとも発信側?

これ、今の私の課題でもあります。
問答したい!
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michi
両方の問題だと思います。
その情報や価値観も色々と有るので言い方は難しいのですが、
大きく二つにわけて情報源を考えていくと、
日々の生活の中に有る情報とアーティストが発する情報(表現)。
双方にも同じようなことが言えると思います。

日々の情報というのは、テレビ、雑誌、新聞はじめ、
あらゆる所にある広告等、おびただしい広告。。。
情報過多になっているのは言うまでもない事実。。。
受けても送り手も、そこにエネルギーをかけて、
疲れてしまうと言うか、訳が分からない状態。
送り手は差別化や、インパクトを与えることを考え、
それ以上に、売れること、ビジネスのことを考える。
受けてはあまりの情報の多さに、選択能力や
主体性を失って、流されてしまうようになってる。

で、アートやアーティストなのですが、
上の情報過多や日本の豊かさはとても関係するけど、
僕らが発する情報がマスメディアや、広告媒体と
同じ位置に感じられるようになってきてること。
単に選択肢の一つというか、ステータスというか。。。
アーティストが表現者で居る必要性や、
何かを伝えようとすること、伝わる関係が難しい。

情報にみんなが慣れ過ぎちゃったのかな?
でもこういうときだからこそ、ちゃんと伝えることって、
大事になる気がするんですよね。

表現を受け取る感性というのは、お勉強ではなくて、
自分で見て、感じて、考えて育つモノであって、
お勉強をし過ぎると、それはつまらなくなるんだよね。
日本はお勉強をし過ぎていると思う。
美術館へ行っても勉強しなきゃ行けない。
それではそこにある楽しさや、奥行きは伝わらなし、
子供や勉強嫌いの若者がどんどん離れて行っちゃう。
美術館は、良くある説明なんか無くても良いと思うな。
この間ドイツへ行って、そんな説明無かったし、
(有っても読めなかったか)必要を感じなかった。
でもそれで良いじゃんって思いました。
広くて素敵な空間で、自由に色んなアートを見て、
喋って、写真撮って、感じて。。。(写真撮れるんだよ!)
日本もこうなると良いな。
2004年06月26日
21:55
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ふけちん

んんん。

人間は、腰ミノの時代は一日4時間働けば、飯がくえたそうな。
20年前の2000倍の情報が、我々の元に毎日舞ってくるそうな。
20年前の1/20の栄養素しかない食品を食べているそうな。

そんな、忙しく、豊さに欠ける時代に
>表現を受け取る感性というのは、お勉強ではなくて、
>自分で見て、感じて、考えて育つモノであって、
これを育てられる「人間の器」を
我々の世代は育てられるのだろうか?

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michi
育たないと、将来的に恐いな〜。
すでに色々と不安を覚えることもありますが、
別に悲観してあきらめるのではなく、
そこにエネルギーを注げることが、
新しい可能性になりそうで、楽しいかもね。
by michiyuki917 | 2004-06-25 11:01 | I think