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66b/cell
昨日は横浜のBankART 3Fに66b/cellの「Patchwork in Motion」というパフォーマンスを観てきました。行くか迷っていて内容を見ていたら、かなり知り合いが絡んでいたりして、これは行かねば。
会場は僕が以前パフォーマンスした1階ではなく、3階の屋根の低い空間でした。座席数も70〜80席くらいだったかな?ダンサーらしき人や外人の方もかなり多く見受けられました。内容ですが、映像(センサーなどを絡めたメディアアート的な物)を中心とした構成で、ダンサーは白か黒の衣装を纏い、映像の中に入るような表現や、インタラクションを持たせていて、なかなか面白い。なかでもダンサーが映像の中にフィードバックしていく絵は好きでした。またジャズ・ヒップホップ系ダンスと3Dの映像で見せる所はかなり迫力が有りました。でもこういう映像だとダンサーが動かないで映像だけが動いているようなのも面白いかもしれないな。音は雨などのフィールドレコーディング的なものから、のりの良いテクノサウンドまで幅広く使っていました。音質は前半かなり軽い感じがしましたが、中盤からは音が張ってきました。

全体的に色々と実験的で面白い試みと高いクオリティでしたが、すこしボリュームが有りすぎる気がしました。構成の問題なのかもしれませんが、細かい要素が順番に色々と出てくるので、全体の流れみたいなのはあまり感じなかった。この辺がタイトルのパッチワークということなのかな?あと、映像が見せる力に対して、ダンサーのスケールが少し小さく感じました。でも今回のはダンスで見せるというよりも、ダンサーは一つの空間を構成する要素の一部で、映像の一部という見せ方かな。もちろん違うかもしれませんが、そう解釈してみた方が良さそうに思いました。映像側から見れば良いのですが、もしダンス側から見ようとすると、表現のディティールが見えずその動きは殺されてしまっていて、映像のボリューム感とダンサーの作る空間性をもっとコントロールする必要がありそうです。それで映像側から見ると、ダンサーの動きはもっとシンプルでも良いような気がしました。少し軸を見つけづらい感じがするので、少し削る作業をしても良いと思いました。
hirokiくんは白い衣装、黒い衣装のモノトーンのモノを作り、映像との相性も良かった。近未来的な質を感じさせ、白い中、黒い中に色んなテクスチャーとシルエットを織り込んでいて面白かった。

このパフォーマンスは色々と見れて、自分的にもすごく勉強になりました。

1日は映画の日でもあったので、その前に一本映画を無理矢理見たのですが、それがつまらなくて結構墜ちました。。。まあ久々にはずれの映画を見てしまったけど、1000円だからなんとか許そう。^^; 見たのは渋谷でやってる香港映画でした。細かいことは書きません。(笑) 本当は文化村でやっている「ベルリン僕らの革命」を観ようと思ったのですが、新宿駅でまた山手線が止まっていて、そのせいもあるのか、会場につくと、既に満席で入れない。。。(涙) また今度観に行きます。
by michiyuki917 | 2005-05-02 11:11 | Review
清水宏のサタデーナイトライブ17@スズナリ
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昨日元山の手事情社の芸人(?)、清水宏さんのステージを見てきました。
まあ、なんというかハチャメチャでとにかく楽しかったです。
この人は話しも上手くて頭が良いんだな〜って思いました。
特に一番最初の映画予告編が面白かったな〜。
「ミッションインポッシブルin名古屋」とかハリウッド版「ドラえもん」とか。
後は漫談がかなり面白かった。ネタよりも漫談が良いねこの人は。^^;
普通の何でもないことをすっごく面白く喋れて面白いんだよな〜。
でも間であまり面白くないのも有ったけど、ご愛敬。(笑)
全体としてはお腹を抱えて笑いまくった、楽しいモノでした。
今日の14時と19時にも有るみたいなので、お時間・興味が有れば、
行って損はないと思いますので、是非どうぞ。楽しいよ。
http://www.d9.dion.ne.jp/~shimi-h/

清水宏のサタデーナイトライブ17@スズナリ_b0046388_11233988.jpg

その後の帰りに食べたベトナムカレーです。(もちろん香草無し)
ココナッツの風味が良い感じの美味しいカレーでした。
清水宏のサタデーナイトライブ17@スズナリ_b0046388_1124467.jpg

デザートにはミルクプリン。ミルクと言ってもコンデンスミルクでして、
この辺は流石ベトナム。なのでかなり濃厚だけど美味しかった。
by michiyuki917 | 2005-04-17 11:24 | Review
zingaro ルンタ
ちょっと前になりますが、噂の騎馬オペラ「ジンガロ」を観てきました。
かなり人気の高い公演で週末のチケットはなかなか空きが無く、
やっと4月頭の公演チケットを取り、観に行くことが出来ました。
今回は新作とのことですが、ジンガロ自体を観るのが初めてで、
殆ど予備知識を入れずに観に行った形になりました。
馬と人間が繰り広げるパフォーマンスということぐらいでしょうか。
チケットは大蔵省の関係でやはり一番安い(でも8000円)席。^^;

やはり席が遠かったので、馬と人間のディティールは観れませんでしたが、
それでもその迫力や面白さは満喫できたのではないかと思います。
最初会場へはいると、低く唸るようなチベット僧の読経が聞こえてくる。
開演してもしばらくはこの読経が続くのですが、
これが低音の不思議な周波数のせいか、異常に眠くなる。(笑)
かなり気持ちよくなって、沢山の人を眠らせたのではないかな?まあ、俺も。。。
タイトルの「ルンタ」とはチベット後で「風の馬」という意味だったかな?
そういうのもあってか全体的にアジア的な装飾や音楽で構成される。
でも音はアジアと言うよりは色んな国の楽器を用いているな。
最初のチベット僧の読経からはじまり、アボリジニをルーツとするディジュリドゥ、
後半にはアフリカのパーカッション(ジャンベ)を中心としたリズミカルな音。
まあアジアなテイストがするのは全体の雰囲気と元となる精神性かな?

しかし、馬という生き物は素晴らしく美しいですね。
そして良く訓練され(こういう言葉が適切か分からないけど)ていて、
人間との呼吸というのは確かに前評判通り凄かった。
だけど、やはり調教された見せ物という感じはどうしても否めない。
元々馬が演じたいと言って参加しているわけでもないし、
どうしたって人間のやりたいというエゴからできあがっているのだろう。
もっと草原の中で自由に走り回る馬や、それに乗る人々を見たなら、
よりリアルでストレートな感動になるのかもしれないですね。

舞台を観た感想として、確かに面白かったし、一見の価値はあるかな。
だけど、これを観て凄く感動したとか、驚いたという感覚は無かった。
まあ一番安い席だったせいも多分に有るかもしれないけれど、
逆に近くで観るためにあと数倍の料金を払う気にもなれないかな。

近年の人間は安易に感動や自然を日常に持ち込もうとするあまり、
色んな事を美しく(美しいかのように)装飾し、成り立たせてしまう。。。
そして受ける側もそのままに受け入れてしまうんだよね。
僕はどうしてもその辺の感覚に馴染めないというか、解せない。
とはいっても、今回のように観てしまう自分もいるわけだけど、
表現する上でリアルに感情やモノを伝えたいのであれば、
その気持ちをモチベーションに表現を磨くべきであろう。
でも表面的な真新しさや美しさ、感動を追い求めるあまり、
動物や無理矢理持ってきた不自然な自然などは無しかな。^^;
特に動物は人間のようにある程度均一なモチベーションではないし、
それは演じる空間にも如実に表れてしまっていた気がする。
だって、しょうがないけど演技中にうんこをぼろぼろするし、
餌を与えられて動物が動いたりしてたら動物園や水族館じゃん。

とはいったけど、東京(都心)のように自然環境が極端少なくて、
だけど情報は溢れる一方の場所ではこうならざるを得ないし、
無いよりは有った方が良いのかもしれない。。。
やはり本当の意味での本物が無くなっているのをそこに感じる。

でも人間の生声から伝わるリアルもなかなかのものだよ。(笑)
人間よ、叫べ!
by michiyuki917 | 2005-04-03 23:00 | Review
能美健志&ダンステアトロ21「四季」
日曜日の赤煉瓦の本番前に、能美さんの新作ダンス「四季」のリハーサルを見せてもらいました。sound+dance+visualでもお世話になっている種子田さんが音を担当され、先日共演したじゅんこさんも生歌をダンサー達の中で歌うというのもあり、これは見なくては!しかし、この週は自分の本番や仕込みとかぶってしまい、泣く泣く断念。そこへリハーサルを見せて頂けるとのお誘いに飛びつき、一番良い席で見せてもらいました。当然リハなので、衣装は付けず、力を少し抜いたり、途中調整が入ったりという状況でしたが、それでも十二分に楽しませてもらった。

能美健志&ダンステアトロ21「四季」_b0046388_12225987.jpg


先ず、会場となった場所はBankART1929YOKOHAMAで、ここは僕もパフォーマンスしたところ。この柱の並ぶ空間の中央にリノリウムを敷いたアクトスペースを作り周りを椅子が囲むという状態。先細りの空間をそのまま奥行きのある美術的として機能させていて良かったな。種子田さんの音は最初、いつもの感じよりもかなり音が柔らかく、ちょっと感じが変わったな〜っと思っていたが、それは種子田さんの幅の広さを感じさせられる結果になった。四季のタイトルの通り、季節を表現しながら繰り広げられるパフォーマンスの中で、音も温度を様々に変え、音の粒が持つ質感がどんどん変化していく。春の柔らかな日差しから夏の湿度、秋から音が乾き冬の凍てつく様な堅く緊張した音になる。本当に種子田さんの音を聞くと、音の奥行き、面白さを体験できるんですよね。これは現場でないと分からないので、是非聞いて欲しいです。(ちなみに次回は種子田さんと共演かも) そしてじゅんこさんの声。ダンサー達が踊る中にゆったりと立ち、また緩やかに動く。歌手が持つ発声の身体が見せる緊張感。緩やかでいてどこか張っている。僕も両親に習い歌を歌った時期もあったので、その身体から感じるしなやかさを凄く感じ、かっこいい。そして特筆すべきはその声の温度、透明感を伝える音響。種子田さんからの音とのバランスも取る為でしょう、マイクを通しての歌だったのですが、全く違和感なく生声の様に聞こえてくる。僕はマイクを通した声の質はあまり好きではなかったのですが、これにはビックリ。磯野さんや種子田さん達の技術、耳のすごさには呆れるくらい凄いと思う。そしてそこにちゃんとお金をかけてやった能美さんもさすが。ダンサー達の舞台というのは安易に音楽や音を選択しがちで(そういう情報や繋がりも少ないのかもしれないけど)、それでけっこう興醒めするのだが、ここでは逆にダンサーの身体と有機的に絡み合うのを感じます。

さて、肝心のダンスの方ですが、先ずこの能美さん率いるdannsuteatoro21には素晴らしいダンサーが揃っています。このレベル、体つきのダンサーがこれだけ集まっているのは凄い。それだけでも圧巻です。特に能美さん以外に男性ダンサーが一人いるのですが、彼がまた本当に良かった。クラシックバレエをベースにしている様だけど、体つきは日本人的ですが、身体がとてもしなやかで、筋肉の質も凄い良い。アクロバティックな動きもとても軽く、空間を非常に上手く捉えられている。まだ20代頭らしく、時代を代表するダンサーになるのは間違いない気がします。彼ともどこかで是非共演してみたいな。
女性ダンサーについては、とにかくみんな美しい人が揃っています。こんな素敵なダンサー達に囲まれている能美さんが羨ましい。(笑) もと新体操オリンピック選手の山田海峰さんもゲストダンサーとして参加されていたのですが、以前BankARTでご一緒したときから数段レベルアップしているように感じました。新体操的な要素から抜け出し、より柔らかな彼女の身体を活かした表現へ昇華していっているようです。能美さんからも色々とアドバイスをもらい、その後脇で淡々と反復している姿は印象的でした。リハーサルならでは見れる光景。そして相変わらず綺麗で、見とれてしまいました。(笑)
能美さんのダンスも初めて見せてもらいましたが、もちろん素晴らしかった。新しい物と前代的なものが混ざっているような感じで興味深いです。ずっと前線でやってこられたものを感じます。そして振付家としての才覚も素晴らしいと思った。四季というテーマと人間の身体の使い方がユニークで有りながら凄く自然に受け入れられ、なかなかに感動的。
 照明にConversationなどでやられている川口さん。次回のsound+dance+visualでもご一緒する予定なのですが、白い空間と、大きなガラス面を利用した演出を有効にしていて、特にガラスに反射した光が反対の壁に映り込む質感はとても綺麗でした。またむき出しの蛍光灯を照明としても使い、空間にマッチしてました。ただ、照明機材というのはまだ前時代の舞台裏のままの姿で、やはり白い空間には変な存在感を与えてしまう。最近舞台以外での光の扱いが増えているだけに、早くこういった機材のプロダクトが美しくなるのを願うばかり。もったいない。美術的に機能する裏方機材というのは必要ですね。それは映像もしかりだな。

とにかく、面白かったのですが、本番を見れなかったのが本当に残念。衣装を纏うとまた違ったでしょうしね。。。それともう一つ残念だったのは、この舞台に映像で参加するお話しも有ったのですが、色んな都合で流れてしまったということ。是非次回は一緒に絡ませてもらいたいです。

TUNEでの本番前に良いエネルギーをもらえました。感謝!
by michiyuki917 | 2005-03-29 12:22 | Review
茶の味
以前映画館でみた石井克人監督の「茶の味」
この映画がDVD化され、また見たいな〜っと思っていたので、
買ってしまいました〜。いや、でも本当にこの映画は良いよ。
久々にDVDで買いたいと思った作品で永久保存版かな。
森山開次さんも出てたり、色んな意味で面白いし、
こちらの期待を裏切りつつも、裏切らないところがすてき。
次回作も今から楽しみだ〜。
by michiyuki917 | 2005-03-07 02:12 | Review
三人姉妹
昨日に引き続き、今日も舞台鑑賞。今回は中野のSAIスタジオにてパパ・タラフマラの「三人姉妹」と「ヲg」という作品の二本立て。前者はタラフマラの演出家の小池博史氏、後者は20年間パパタラでやってきている松島誠氏の演出によるものでした。タラフマラは以前スパイラルでの公演を見てからの二度目になります。

まずは「ヲg」の30分ほどのパフォーマンス。蛍光灯の光を空間のベースにした色が印象的だった。パフォーマー(ダンサー)は松島含め6人で、コミカルに勢いよく展開する。ただ、全体的に装飾的な印象が強く、無駄なことが多いように感じた。後半に四人のダンサーがむき出しの蛍光灯をもって踊る所があり、その光と影が作る世界観はかっこよくて、もっとそういった部分だけを広げても面白いかもしれない。また映像も使われていたが、さりげなく使っていてそれは印象が良かった。ただこれは後半の三人姉妹にも言えることだが、声を張り上げて奇声をあげるのが多く、ちょっと聞いていて辛くなる。その声の印象が強くなり、それが浮いて感じてしまうのは僕だけだろうか?そういった無駄な所を削っていって、もう少しシンプルに見せたいところを際だたせて欲しいと思った。

後半の「三人姉妹」は題名と同じく、三人の女性ダンサーによるシンプルなものだった。以前スパイラルで観た作品はちょっと装飾が強く、あまり好印象を持てなかったのだが、今回のこの作品はとても良かった。まず、チェーホフの同名の作品を、ダンスを含めた舞台で、現代風にアレンジしているのだが、僕は原作を知らずに観たにもかかわらず、全体の内容?や、それぞれの役者(ダンサー)の情感を感じることが出来た。もちろん最低限の台詞や小道具での演出はあるが、基本的には彼女らの踊りや動きから伝達される。この三人のパフォーマーのレベルがかなり高いと思った。それぞれに色んな活動をしている人たちだが、この三人が一度に機能して狭い空間を動き回るのは、単純にパフォーマンスとして観ても面白かった。
使われている音は以前千葉の方でソロのライブを見せてもらったマツモトジュンイチさんが担当されていて、それもこの舞台の中で上手く機能し、あるビジュアルを与える力を持っていた。しかもさりげない感じがして良かった。
途中ダンサー達は衣装を脱ぎだし、そこに現れるのはSMチックな黒い衣装。この衣装を脱いだり着たりする行為も、人間の(女性の?)感情の表裏や理不尽さ、矛盾を感じさせた。また途中でむき出しの裸電球をコードを持って振り回す所があったのだが、「ヲg」と同じく、生の光の強さを上手く活かしていて、狭い空間の光のコントロールが小気味よかった。ふと映像もあんな感じで振り回せないかと頭に浮かんだが、想像すると恐ろしかった。(笑)

公演の後に、演劇評論家の渡辺保氏と、小池氏によるアフタートークがされた。そこで小池さんの舞台に対する考え方が聞けて面白かった。ダンサーや役者という境界を引くのではなく、身体を使った表現者としての可能性を考えていることに好印象を持った。そこでも「領海侵犯」といった言葉が出ていたが、そういった考え方はもはや時代遅れなのだろう。どんなスタイルであれ、表現する可能性を追求し、進化していこうとするのは注目に値する。
山の手事情社という劇団もそういう意味では演劇からもっとダンスパフォーマンス的な要素や、歌舞伎的表現など、独自に進化させてきているが、ダンスが演劇よりに変化・進化していくのは楽しみではあるものの、それが本来の表現する目的からそれて単純なメディアミックスにならないようにはして欲しい。要素があるだけで、それが機能しなければただの蛇足であり、作品の足を引っ張る。その辺の判断は演出家の腕次第というところだろうか?
ただ、今回の三人姉妹を見ている限り、色んな可能性を感じさせてくれたので、今後の作品作りにも注目したいと思っています。明日は落日なのですが、立ち見ならまだ有るかも?
by michiyuki917 | 2005-02-20 02:10 | Review
日韓ダンスコンタクト Vol.2
本日青山円形劇場にて日韓のダンサー三組の舞台を観てきました。日本に一番近い外国の韓国。しかし、なかなか韓国の文化芸術に触れる機会というのはまだ少ない。そんな中で、コンテンポラリーダンスという、踊りでも古典ではなく現代の踊りを観れるというのは面白い。

さて、そんな期待も入り交じりつつ会社を早退して急いで会場へ。全部でA〜Cまでの3種類のプログラムがあり、今日はBプログラム。1番手は韓国のテ・ヘシン、2番目は日本の浜口彩子、最後に韓国のイム・スジョンという三組。
まず、1番手のテ・ヘシンだが、始まったとたんに嫌な予感がしてしまった。衣装や美術に古典の臭いがするのだ。白装束的なものを着て、両手には葉が沢山付いた木の枝を持っている。それをばさばさと振り回しながら韓国の民族楽器の様な音に合わせて、踊る。一見現代的な様だが、動きや音、美術と総合してみるとどうしても古典的な古くささを感じてしまう。男の声がスピーカーが音と一緒に聞こえたり、インカムをテ・ヘシン自身が身につけ、なにやら喋ったり叫んだりする。マイクが無ければまだ良かったのかもしれない。それほど大きな会場ではないだけにマイクで増幅された音は妙な存在感を示してしまう。醒める。。。

次に出てきた浜口彩子が振り付ける、女性三人組のダンス。暗転から照明が入ると、三人がレモンを口にくわえて立っている。再び暗転すると半円形の舞台空間に大きく三人が拡がって板付き状態になり、そこから本編がスタートという感じ。
しかしこの三人の踊りはとても面白かった。まず、全体の間が良い。半円形の舞台空間の使い方、踊りの緩急、三人の動きの有機的な繋がり、どれを取っても小気味よく、レモンも有ってかとてもさわやかな感じがした。全員黒いスカートやワンピースを着て、舞台上を自由に戯れているようだった。音もシンプルなものや、印象に残るメロディラインのピアノの音が柔らかい。三人のそれぞれの動きは別々の様で妙に統一感があり、ばらけてはまとまり、走っては停まり、一人が大きく動けば、後の二人は細かい微妙な動きを見せたりする。後半のソロパートでも身体の運び方が上手く柔らかで、人間と言うよりも小動物や子供を思い浮かべる。動きは抽象的で有りつつも、三人の動きの連携から様々なイメージを想起させる。時計であったり、戯れる子犬や、昔の記憶の中をかき混ぜたり、ゆっくり浸ったり。
全体的にちょっと長い印象を残したのがもったいないが、全体としては完成度が高く、もう一度観てみたい作品だった。最後の方に五つのレモンが連なった小道具をダイナミックに振り回すシーンがあるのだが、五つのレモンが円形の空間を回る絵はとても印象的だった。この舞台が観れただけでも今日来た甲斐が有ったと思った。

最後のイム・スジョンは長身で手足が長く、もって生まれた身体を活かしまくるタイプ。すらっとした体つきではあるものの、鍛えられた筋肉ががっしりとしていて、観ていて頼もしい。おそらくバレエをベースにやってきたであろう動きを感じたが、全体的にとてもシンプルで、今日の三組の中では一番単純に踊っていた。ただ、その身体を前面に押し出した印象のある踊りだっただけに、もっと繊細な部分が欲しかった。前の日本人の組で見せたような緩急、特にゆるい動きがもっと自由にコントロール出来ると良いように思った。JOUさんを思わせるダンサーだったが、JOUさんのもつ繊細な感じよりはもっと大胆で力強い感じで、もしかしたら二人で踊ったら面白いかもしれない。

今日観た二人の韓国人ダンサーを見て二つの印象を持った。一つは真面目であること、もう一つはノスタルジーを感じるということが。凄く国民性を感じさせたという結果かもしれないが、そういった印象を打ち破るような韓国のダンスを観てみたいと思った。

今回ので一番面白かったのは日本の浜口彩子の舞台でした。これは良かった。どこかで機会が有れば是非見て下さい。
by michiyuki917 | 2005-02-19 03:17 | Review
進化するアートマネージメント
最近僕が読んでいた本で、色んな意味で共感できるものがあったのでご紹介。
林容子さんが書いた「進化するアートマネージメント」という本で、アートや、アーティストの社会における役割と、それをいかに有効に社会と関係づけ、運営、マネージメントしていくかというものです。こういった本だと、ビジネスやその扱い方に終始してしまいがちだが、この本では、アーティストの立場、アートの有用性を基本に据えて話が展開し、とても我々を後押ししてくれるものになっている。っということで、紹介がてら一部抜粋してご紹介します。

進化するアートマネージメント_b0046388_17404773.jpg


■アートの現在と未来
 情報の氾濫と、その伝達のスピード。独占的なシステムが加速度的に進む現代の世の中ほどアートを必要としているときはない。現代社会ほど、人間が考えるという行為をしなくなった時代はない。(中略)
 アーツの根元は思考である。与えられた情報を鵜呑みにするのでなく、自分の身体と脳でそれについて思考し、表現することがアートである。スピードと経済性(利益性)、簡易性が絶対的な価値観となっている世の中において、スピードや経済性が果たして人間にとっていいことなのか、と立ち止まって考える、また考えさせるのがアートである。だからといってアートが社会的な主題ばかりを扱うわけではないが、アートはその時代の一般の人々が考えることに疑問を投げかける。その意味で、アーティストは現代のカナリヤとして社会に警鐘を鳴らす。
(後略)
多くの人が一方的に流される情報によって画一的な価値観をもつ現代社会において、それから一歩引いて社会に対峙するアーティストの存在は、人類が盲目的にある方向に進んでいくのに対して警鐘を発する存在である。また、個人の究極の表現は、個々の自由と尊厳があってこそ可能であり、芸術の成り立たない社会は、あらゆる意味で、個人の自由と尊厳が損なわれる危険性をはらんでいるといえよう。

(中略)

■アーティストの重要性について
 たびたび書くが、アートマネージメントの重要性は、すなわち、この社会における、人間にとってのアートの重要性からくるものである。
 アートがなくてはならないものだから、アートマネージメントが重要なのである。
 何故アートマネージメントの確立が必要か。社会でアートを生かすことが重要なのか、これらの問いに答える前に、まず何故アートが必要かについて議論をする必要がある。
 残念ながら、わが国の文化政策は、国民の間で何故アート、芸術が必要か、何故税金を投じてアーティストを支援するのかという議論がほとんど行われないままに、過去10年間に総額7兆円という巨額の税金が投じられて、この狭い島国のあちこちに有名建築家のデザインによる立派な美術館や、コンサートホールといった文化施設が建設された。(中略)
 社会を構成する一人一人が、限られた情報ソースにより一方的に洪水のように情報を受けている。現在の社会ほど、特に日本ほど限られた価値観に縛られている社会はないのではないだろうか。限られた価値観とはすなわち経済中心の価値観である。バブルの崩壊後、経済一辺倒のやり方に反省の向きもあるが、まだまだ、わが国は株式会社日本としての生存に躍起である。ほとんどの人が画一的な価値観のもとに何の疑問も持たずに一つのディレクションだけを向いて突っ走ろうとしている。このような社会がどれだけ危険であるかは、現在世界で起こっている事象を見ればよく理解できよう。
 アート、そしてそれを生み出すアーティストは、このような画一的な経済、そしてマネー中心のシステム、価値観の社会の中で、自分の世界を持ち、社会一般の価値観とは全く異なる価値観のもとに生き、その中から作品を生み出しているのだ。このことは何度も言いたい。
 盲目的にある方向を向いている社会の中で、一人反対の方向を向いて、そうではないあり方を示してくれるそれがアーティストという存在なのである。
 大げさな言い方をすれば、現在のやんだ社会を救えるのはアーティストしかいない。一人一人のアーティストが仕上げる作品という名の声は大音量スピーカーが鳴り響くなかでかき消されてしまうかもしれない。しかし、我々は、また、別の価値観、ものの見方があることを知る必要があるのである。例えば、皆がいち早く山の頂上に到着しようとわき目も振らずに歩いているときに、ふと足下の小さな花に目をやるのがアート的な行動である。我々が見失っているこの世の美しいもの、大事なものに目を向けてくれるのがアーティストである。

(中略)

社会が、経済効率を真っ先に考えて建築物を作る社会において、経済性を度外視して意識の覚醒を起こさせる。アーティストの作品を通して、その見方に触れることで我々は意識を別のベクトルに向けることが可能になる。
 99.999%の人が気が付かないもう一つのこの世の真実、それを明らかに提示する。これは社会の、趨勢にとらわれることなく、独自の価値観と生き方を貫くアーティストだから可能なことだ。盲目的に社会の中に作られる既成概念や常識や通念にとらわれている我々には、アーツ、そしてそれを創造するアーティストの視点が必要である。そうでなければ我々は、知らないうちに大きく道を踏み外しかねない。自らものを考えなくなっている人が多い社会において、アーティストの生き方が示唆するものは大きい。
 アートは、自分を取り巻く世界、他社、そして自己の「意味」について「新たな発見」と「つきることのない洞察」を可能にする。一般の我々は、日々の生活に忙殺され、なかなかそのような時間が持てないがアーティストは、常にこの思考のプロセスを体現している。アーツは、その創造性の中に我々に「もう一つの現実」があることを喚起する。

 アーティストの存在は、言ってみれば暗い穴の中に下がる一筋の蜘蛛の糸のようなものである。その糸の存在に気づいて、それをたどれば上に出ることが可能だが、多くの人にはそれが見えない。蜘蛛の糸はきらりと光るがあまりにも細いものだからだ。アーツマネージメントは、蜘蛛の糸を強くし、人々に見えるようにすることだともいえる。
 アーツを社会に生かすとはそういうことだ。我々が自己を見失わないために、人間として人間性を確保するためにアーツはなくてはならないものであり、よって社会に生かしていかなければならないのである。

 現在、我々を取り巻く環境は、人間性とは程遠いものになりつつある。生き物として最低の行為でもある殺人が平然と繰り返され、その様子が映し出される映像をまるで虚構のもののように捉えている。地球上の富をたった10%の人が独占し、多くの人々が今日食べる食べ物も、着るものも住むところもないという現実。
 この現実を意識するために、必要なのは他社の立場に自分をおいてみること。つまり、想像力である。現実と虚構が交錯する世界において、我々人類の存在を救うのは、想像する力であり、それは創造性から生まれる。アートによって人間は、自己のヴィジョンをもっとも端的に表現し、創造性と想像する力を回復する。


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っと長くなってしまいましたが、なんか、自分の考えていることを代弁してもらっているようで、つい紹介したくなりました。もし興味のある方は是非手にとって見て欲しい。
 最近自分の活動を続ける中で、徐々に環境が変わりつつあり、今後の活動を色々と考えていました。一生表現をし続けようと思い、自分に出来ること、出来ないことを見極め、より自由に多くの人と対話し、社会に対して影響を与えうる活動をするべく、これからも動いていきます。

途中で写していた文章を消してしまい、書くのをやめようかと思ったけど、頑張って書いてみました。^^; こういったことについても色んな人と話をしてみたいので、色々と考えがあれば聞かせて下さい。
by michiyuki917 | 2005-02-16 02:15 | Review
浄土
昨日ASAHIスクエア(次はBankART1929YOKOHMA)で行われている「浄土」というのを見てきました。次回のsound+dance+viualで使う会場と言うこともあり、他のアーティスト、スタッフと一緒に敵情視察?というか、下見を兼ねて行ってきました。

チラシはA4見開きのフルカラーに金の特色を使うという豪華なもので、かなり金と気合いを感じさせる。さて中身はどうか?あ、ちなみに入場料は前売りで4500円、当日だと5000円で、ちょっと普通より割高感がある。(でも昨日は招待で。^^;) 
綜合プロデュースはパーカッショニストの加藤訓子で、他にク・ナウカの演出家、宮城聡が入る。音はイギリスの作曲家のJames Woodと、ソプラノ歌手のSarah Leonard。それにク・ナウカの俳優の江口麻琴が演ずるという構成。音響は田口製作所(小林さん)がサポート。

2フロア分の高さのある会場は、通常下の階(4F)からの入場だが、それを狭い上のギャラリー階(5F)から入らせ、会場までのアプローチを長く取っている。これはステージの置き方を通常の入り口前に設置した為だが、どうにも導線が悪かった。そういうステージの置き方なので、僕が以前出演したときとは前後反対に見るようなレイアウトになっていて、広い壁を背に、アリーナ状に階段が並べられていた。小さな舞台とその脇には、様々な楽器(主に打楽器)が所狭しと置かれている。上手奥には高台にマイクと譜面代、あとは割れた陶器やガラスをすだれのようにしたオブジェ的なモノが吊られている。その高台とステージの間に俳優(江口)が遠い目をして座り、観客の入りから開演まで微動だにしないでいる。
開演後、今まで動かなかった江口が呻くように語りを始める。しかし、しばらくすると喋っている口と、音がずれてきて、最後は口だけぱくぱくとする。このずれがちょっと気持ちよかった。基本的に男と女の声が三島由紀夫の「滋賀寺上人」(多分)朗読をし、その間に音が入っていくという構成。
最初の5分位までは、俳優のゆっくりといた動きで緊張感を感じさせていたが、音が入り、少し空気が変わる。音が入ると、その音のパフォーマンスが強く、いくら朗読の語りが入ってもそれとちぐはぐしてしまう。後半は徐々に退屈にすら感じてしまう。単純にこの加藤のパフォーマンス自体もやっている行為は見えてくるが、そこから聞こえる音に、響いてくるモノは感じない。膨大な量の楽器もほんのちょっとずつしか触られず、色々とやっているだけで面白くもない。まだ、俳優とソプラノ歌手だけで世界を作った方が面白いと感じた。同行した他のメンバーも同じように感じていたようだ。しかし、お客の反応は面白かったという声も聞こえ、「え?」っと思ってしまう。確かにお金をかけてステージを組み、(ASAHIでは2回公演)沢山の楽器の音も聞けたのだろうが、それで満足がいってしまうのか? これだけのお金の使い方をしていたら、もっと面白いことが出来そうに思うのに、見せかけだけで、中身が全くついてきていない。
今回は綜合プロデュースが加藤の企画だったので、このパーカションパフォーマンスを見せるのが主だったのかもしれないが、それが一番面白くなかった。俳優達がはけた後も、加藤だけ残り、前半で使わなかった楽器を使い、ソロパフォーマンス。なんかいらないおまけをもらったようで、疲れた。(一応加藤は、ロッテルダム音楽院を主席で卒業し、世界中で活躍しているらしいが、それを裏付けるモノは無かった。)
俳優の江口の動きは、細い身体をゆっくりと動かし、緊張感を生んでいて、良かった。ソプラノ歌手も技術的なモノはさすがにしっかりしていたが、譜面をめくる音が気になってしょうがなかった。それほど歌う量も無かったのでこれくらいなら暗譜して、もっと世界観を作って欲しい。クラシック歌手というのは、どうも、譜面台を前にして歌う形が好きなのかしらないが、そういう姿になってしまう。声だけで伝えるのなら別に衣装もいらないだろうし、姿を見せるのであれば、自分の立ち姿からも色々と伝えようとして欲しい気がする。(これは演出の問題かもしれないかな)特に日本人のリサイタルとかでは正装して歌えば良い的な発想を感じることが多いので、その辺の精神的な歪みはどうにかして欲しい。

話はそれたが、三島由紀夫の世界で音を表現するというのは面白いかもしれない。が、もっと響くモノをやって欲しかった。これを自分で5000円払って見ていたら、怒っていたと思う。

薄い〜!
by michiyuki917 | 2005-02-02 16:17 | Review
伊藤キム+輝く未来
以前よりちゃんと観たいと思っていた伊藤キム+輝く未来の公演を観てきました。タイトルは「壁の花、旅に出る。」というもので、会場は僕もパフォーマンスしたBankART1929YOKOHMA。
二部構成になっており、一部はフリードリンク、フリーフードのパーティの会場に仕立て、ダンサーが空間を囲むように立っている。椅子の上に立ち洋館にたたずむ彫刻のように見せていた。下着?姿のダンサー達に囲まれながら、入場した観客は飲み物を飲んだり、語ったりしている。途中彫刻になっていない男女のダンサーが会場を動き回り、狂ったようにしたり、それを女性の方が解説したり、男性がぶつぶつ言ったりしていた。
 しばらくすると空間の中央に置かれていたテーブルは取り払われ、彫刻のように立っていた(実はちょっとずつ動きを変えていた)ダンサーは会場を去り、ガラス張りの階段へ。会場から丸見えの階段空間を楽屋のように見せていて、そこでおもむろに着替え出す彼ら。下着もはずしながら着替え、ウォーミングアップし、たわいない会話もしているようだった。

ここにはこの会場の特性を活かし、観客とダンサー、会場と演技空間、その裏側と言う垣根を壊そうという意図が読み取れる。男女のダンサーが掛け合いながら動き回るのは、慣れていないのか、何がやりたいのかよく分からない感じがした。かなり中途半端に感じ、やるならもうちょっとやりきった、面白さが欲しかった。

二部にはいるとダンサー達は、やはり会場の人をかき分けながら動き出した。そこにステージと客席という概念は既に無い。しかし、そうこうするうちに徐々に中央の空間へ集まりだしたダンサーは踊り出した。苦しみもがくような動き、整然と動く機械的な動き。何となくそこから現代的な社会性や、人間の性を感じさせられた。抗えない大きな流れの中で、四苦八苦しもがく人間。築いては崩れ、また再生する。そしてまた苦しむ。。。そんな無情と哀愁を感じつつ、その中にある人への愛情を見せているようだった。ひとしきり踊り終えた後、最後に伊藤キムが登場。彼独特のユーモアで他のダンサー達をいじりながら踊る。するとダンサー達は会場から観客を引っ張り出し、伊藤キムの周りに立たせた。そこから伊藤キムと観客とのやりとりが始まり、彼の出す怪しいユーモアが楽しませてくれた。

タイトルの「壁の花」とは伊藤キムの人間賛歌的な情景を描いているのかもしれない。もしくは、普段の観客席というのは、彼にとってただの壁と変わらないような対象で、それをステージに上げ、まさに花とすることが目的だったのかもしれない。

正直今回の作品では、力を図り切れない感じがあったが、作品からは嫌なモノは感じなかった。今度は舞台での作品をちゃんと観てみたいと思う。次回に期待。「ラジオで踊る」は一度観てみたいな。どうなんでしょう?
by michiyuki917 | 2005-01-17 03:30 | Review