人気ブログランキング |
<   2006年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧
僕の家族
せっかくなので自分の家族について書いてみようと思いました。僕はかなり特殊な家庭に育ったので、他の人から見ると変な家だったと思います。だけど、そんな家族の中に生まれることが出来て本当に良かったと、心から思っているのです。

今日は僕の両親から。

単純にいうと、僕の両親共に声楽家(オペラ歌手)です。父親は大阪の出身で、母親は長崎県の波佐見という片田舎の出身。父親のお母さんは以前僕の日記でも書きましたが、フィリピンの女性で、スペインから移民してきた家系の出。どれくらいスペインの血が混じっているかは不明ですが、僕は確実にそのおばあちゃんのフィリピンやスペインの血が混じっています。

実はクオーターなのです。←ここ驚く所ね。

そして父はそんな祖母とフィリピンで駐留していた日本人の祖父との間の子で、戦後のどたばたの中日本に戻ってきてから生まれました。そしてその祖母は敗戦後の言葉も分からない日本で子供四人を育てていくことになります。この辺の詳しいことはまたいつか改めて書きます。そんなこともあり父は小さいときから決して良い境遇ではなかったし、父の兄弟は苛められたりしていたそうです。でもそれに負けず学生時代の父は哲学に燃え、大阪では結構名門の有名な高校に入りました。しかしベートーベンなどの音楽が好きだった父は、作曲や歌という音楽への道を進み始めます。そして東京の某音楽大学に入り、作曲と声楽を学びました。そこで僕の母と出会います。

さて、母の方ですが、出身地の波佐見町という町は、焼き物で有名な有田の隣に有る長崎県の僻地。佐世保に割と近い位置にあり、やはり焼き物の町。焼き物の町としての歴史はとても古く、秀吉の時代に朝鮮から技術者を連れてきたときからはじまります。そして磁器という焼き物を日本で初めて作った場所。有田よりも古いですよ。でもお隣の有田に名前負けして、殆ど有田焼として東京で見ることが多いです。^^;
僕の家族_b0046388_142360.gif

さて、脱線しましたが、実はこの母親はその焼き物の町のある窯元の跡取り娘でした。上に兄と姉がいてさ3兄弟だったのですが、子供の時に2人とも亡くしてしまい、母は一人っ子になりました。そして窯元の大事な一人娘として可愛がられ、お嬢様として?育ちます。中学時代は女性ながら生徒会長なども勤め、結構存在感を出していたようです。ちなみに母の中学時代の英語の教師は僕の英語の先生でもありました。そしてよく「お前は本当に加代の息子か?」っと言われたほど、母は成績優秀だったのですね。ちなみに僕も成績はそんなに悪くなかったですよ。むしろ良い方。^^;
そんな母も高校時代から音楽の道を考え、現役で東京の音楽大学に入りました。母型の祖父母は、卒業後は窯へ戻ってくると思っていたでしょうね。大学は花嫁修業だくらい。
僕の家族_b0046388_1425970.jpg
波佐見はこんな所です。


しかし、父と出逢ってしまった。。。
当然九州へは戻らず、窯の人々には反対されながらも父と結婚。窯元は娘が出て行ってしまったので、仕方なく跡取りには伯父を養子に入れ、窯をついでもらうことになりました。

父と母は音楽大学のバドミントン部で父が先輩で母が後輩という形で知り合いました。そして当時から父はオペラの世界を挑戦的に崩していくことを初め、卒業と同時に小さなオペラグループを結成し、現在までそれが名前と形を変えながら続いてきています。

僕が小学校へ通っていた頃、母は中学校の音楽講師、父はオペラ団体の運営や公演、講師もしていたかな。そんな感じで、両親とも外に出ていたので、僕は兄弟の世話をしたり、料理も結構早い時期からやっていました。包丁を持ってリンゴの皮をむいたのは小学校に上がる前ですね。すごいっしょ。父親はいつも夜遅く帰ってくるか、週末だけ帰ってくるような日々だったので、殆ど顔を合わせることはなく、週末にたまにキャッチボールやバドミントンなどをして遊んでもらえるのは何よりのご褒美でした。

そしてこの両親は僕を含めて、五人の息子を持つことになります。
すごいでしょ?五人いて、全部男ですからね〜。ちなみに僕は長男です。(納得?)

父親は殆ど自分の音楽活動に時間を費やしていたので、子供達は実質母が1人で育てたと言っても過言ではないです。そして僕ら子供達は何となくそれを感じ、母が毎日一生懸命外で働き、家に居ないことを受け入れ、家事や弟の迎えなど、母を助けて?いました。でもやっぱり子供ながらあまり親と一緒に居る時間がないのは辛いモノ。先日母が僕の相方に昔の日記(僕の)を見せたそうです。僕は全く記憶になかったのですが、そこには事実とは全く違うことが書かれていたそうです。こういったところに子供ながらの表現や見栄や、言いたくても言えないことが表れていたんだね。。。それでもって僕は学校が嫌いで、たまに仮病も使いました。そして仕事に行けない母親を困らせたことを覚えています。あと学校で具合が悪くなったときも仕事を早退して迎えに来てくれたりしました。先生の指導に対して文句があるときは正面から異論を唱えてましたし、逞しかった。僕は結構しっかりしてそうですが、当時は(今も?)結構寂しがり屋の恐がりでした。それに加え、僕とはまったく性格も行動も違う男が他に4人。。。我が兄弟ながら、想像を絶するものがありました。本当に毎日テレビの様な世界だったね。^^;

父と母は週末になると良くオペラの公演をしていました。どんな公演かというと、「街角オペラ」と銘打ち、文字通り街中の商店街や、デパートの前などでいきなりゲリラ的にオペラをするというモノ。毎週のようにやっていたように記憶しています。僕ら子供達は、それに参加して、良く子役、動物、木の役などをしていました。待ち時間にデパートのオモチャ売り場に良く遊びに行ったな。(笑)
そしてそんな中で色んな人と会い、沢山の大人を見たように思います。この両親だったモノで、家では毎日のように歌が聞こえていました。本当に耳にたこができたよ。でも自然に色んな音楽が耳に入ったので、プロの歌手が舞台で音をはずすと分かったな。
母親は子育てに対してはかなりの哲学を持った人で、食べ物とテレビには特にうるさかった。僕が小さい頃から食品添加物は絶対に食べさせないようにしていたし、テレビについて言えば、途中から無くなりました。これは子供にとっては一大事で、周囲の子供と共有する情報が全くなくなり、自分が好きだった番組も見られなくなってしまう!結果僕は近所の友達の家にしょっちゅう遊びに行ってはテレビを見せてもらってました。そこで行動力を身につけたかな?(笑)
その代わり、母は絵本や絵を描く道具、シンプルなオモチャなどを与えてくれました。結果我が家はどこを見渡しても落書きだらけ、破けた紙だらけ。。。子供が沢山居れば喧嘩もするし、それはそれは日々嵐のようでしたよ。ふすまや障子の紙が綺麗に貼られていたことが無かったように思います。はい、犯人は私どもですが。。。友達の家が綺麗なのが不思議でした。(笑) でも色々と与えられすぎなかったことは、子供のクリエイトする感覚をとても養ってくれたと思います。将棋がしたければ、自分で枠を作り、駒を作る。双六なんか自分たちで幾らでも考えられたし、トランプだってしょっちゅう作っていましたし、漫画とかも自分で描いたな、新聞紙は刀や手裏剣に変わり、チャンバラはしょっちゅう。そうやって自分でモノを作ることを学びました。

そして父は毎日1人オペラに励んでいました。。。(笑)

でも殆ど顔を合わせない父でしたが、不思議と冷たい人間だとは思わなかったし、むしろ尊敬していました。自分の道を力強く歩んで居る姿は大きく見えたモノです。そして未だにそのバイタリティは衰えることを知らず、最近は恐ろしい人だと思うようになりました。もうすぐ60歳になりますからね。(笑) 実質僕の年齢と同じくらいやっていて、30年程この活動を続けています。自分は30年やり続けられるかと聞かれたらどうだろう?やっぱり凄いよね。まずはそれを追い越さねば、っていつだよ。。。^^;

さて、僕が小学校を卒業する頃、母の実家の窯元を継いでいた伯父が、心臓麻痺で突然の他界。。。窯は再び跡取りを失うことになり、親戚会議が行われました。

結果→「娘よ、もういい加減波佐見に戻ってきなさい!」

母も相当悩んだと思いますが、子供達5人を連れて長崎へ引っ越すことになりました。そして父はそのまま東京に残って、オペラ活動を続ける。。。どこまでも自分のペースで、自分中心です。ここまで行くと本当に凄い。父は九州と東京を行ったり来たり。1〜3ヶ月に一度来る様な感じでした。でもって東京だけではなく、九州にも支部が出来たぞって感じになり、この長崎をベースに九州でもオペラ活動の展開を始めます。東京と九州の歌手達で九州オペラツアーなんかもしていましたね。僕ら兄弟もこの頃もやはり手伝わされ、裏方などは良くやっていました。歌でも多少は参加したかな?沢山の歌手達が僕らの家に泊まり、ここでも色んな人たちを見ました。現在は東京オペラ協会と言う名前で活動しています。来週の火曜日と木曜日には代々木のオリンピックセンターで「魔笛」と「フィガロの結婚」をそれぞれやっています。良かったら観に行ってください。

そして時代は進みますが、僕が高校時代の時、町の名士の1人だった母の父が他界。これまで窯を支えてきた大黒柱が居なくなり、ただでさえ大変だった窯の経営が更にきつくなってきます。窯と言っても伝統工芸的なモノではなく、主に家庭用に使われる茶碗や湯呑みなどを手描きで作っていて、職人さんを30人位雇っていたのではないかと思います。僕は当時高校でデザインを勉強し始めていました。当然祖父や窯の職人達は僕が窯を継ぐモノだろうと喜んでいたらしいですが、僕は全く窯への興味を持っておらず、東京へ進学の為に上京します。

そして時代は大量生産、大量消費の時代になり、手工業の窯は一気に大変になります。沢山抱えていた職人さんにも辞めてもらわないといけなくなり、かなり規模を縮小。そして最後に母の代で窯を閉じることに。。。一応窯は残っているので再開は可能だけどね。

お〜い、そこの兄弟!(って、お前じゃないのかよ!)

母は再び音楽方面での活動をメインにシフトし、現在は父のオペラの長崎支部の運営や福岡支部での指導や出演をしながら、町の児童合唱やママさんコーラスの先生、ピアノや歌の先生もしています。あ、母の実力について触れていませんでしたが、とても素晴らしいソプラノシンガーです。うちの父の舞台だけでなく、もっと色んな所でやって欲しいと思っていますが、どうだろう。。。


かなりかいつまみましたが、これが僕の両親のちょっとした姿です。かなり僕は2人の元で色んな経験をさせてもらいました。普通の家庭にあこがれたことも有ったけど、この2人の所に生まれて、色々と教えて貰いながら成長してきました。2人は僕の支えであり、原点であり、目標であります。特に支えは母親の方だけどね。(笑) これから僕が支える方に回らないとね。父も母もとても尊敬しているし、彼ら無くては今の僕はなかったな。色んな人に紹介したい自慢の両親です。みんな長崎に行く機会があったら、是非うちの母親に会いに行ってください。不良息子達はみんな父親を習ってか、家を出てしまい、5人いた息子達は既に巣立ち、大きな家は寂しくなってしまいました。でも最近実家で母と一緒にまた暮らしてみたいな〜っと漠然と思うようになってきた。

そうそう、窯は一旦閉めてしまったのですが、数年前、この窯をカフェとしてオープンしました。知り合いの人が運営してくれていますが、「四季舎」という名前を付け、窯で焼いたピザと、微妙な珈琲が飲めます。(笑) 山の上の方にあり、とても素晴らしい景色を見ながら珈琲やランチを食べることが出来るので、是非訪れてみてください。↓
僕の家族_b0046388_1445469.jpg


俺はいつ帰ろうかな〜。
by michiyuki917 | 2006-08-25 01:44
話すということ
そうだな〜
ってさっきある人の日記を読んで思っていました。

そして色んな人ともっともっと話しをしたいと思った。
特に家族とは沢山色んなことを話さなければ。。。
縁があって出会った今の人生なのに、
それにちゃんと向き合わないのは嘘だよね。

一昨日、鹿児島から東京に出てきていた弟と会った。
正確には彼の彼女を紹介される為だったのだけどね。(笑)
でも弟カップルと一緒に飲んでしゃべれたのはとても良かった。
弟がとても素敵な女性をちゃんと選んでいたこと。
酒を飲める歳になって、外で一緒に飲んだのは初めてだった。
家族や親戚とこうして改まってみるのはとても新鮮で、
今日のマイミクの日記と相まって、色々と考えた。

最近長崎に居る母親にも全然会っていないし、
大阪のおばあちゃんにも会ってなければ電話もしていない。
ちょっと自分は薄情かもしれないと思った。

僕はどうしても身近にいる人に集中してしまい、
家族といえど、遠い場所に居るとなかなか連絡もしない。
家族という切れない縁の安心が有るのかもしれないけど、
もっと今の歳になってから向き合う必要もあるのかも。

知っている人も居るかもしれないけれど、
僕は学生時代〜20代前半に色々と悩み苦しんだ時期があり、
それは実は今でも僕の中である種のトラウマになってる。
そして最近それを乗り越えることが僕に向けられている様で、
ちゃんと勇気をだして向き合って行きたいと思っている。

今それをここでは言えないけど、いつか話します。
僕は人と話すのが好きで、それは生き甲斐だと言える。
でも時に人と話すことが怖くなるときがあります。
好きだからこそ、それが悪い方向へ向くのが怖いのかな。
話したくないと思う相手も当然います。

自分の気持ちが伝わるかどうかと言う不安。
相手の気持ちを理解できるかどうか?
お互いの関係が幸せなモノになっていくかどうか?
傷つけないだろうかという怖さ。
そして自分も傷つきたくないという弱さ。。。

自分がもっと人間として完成度が高くいれたらな。。。
もっと強くなって、色んなモノを受け入れられるように。
多くの人に優しくなれて、幸せを共有できるように。



まずは自分の身近な人との距離を少し縮めてみよう。
by michiyuki917 | 2006-08-25 00:25 | I think
Fire...
Fire..._b0046388_2405312.jpgロンドンでの日々を記憶をたどりながらまた少しずつ綴っていきたいと思います。急な帰国でただでさえ溜まっていたネタが山ほどあるので、早く出していかないとね。
今日は、そう火事!

Fire..._b0046388_2424114.jpgある朝、妙に外が騒がしく、また誰かが朝っぱらから喧嘩でもしているのか?っと思いきや、
「Fire!」の声。

そして

「Everybody get out!」

え?

うち ????


確かにちょっと焼ける臭い。。。どうやら本当らしい。(◎-◎;)
相方を急ぎたたき起こし、大事なモノをもってバタバタ逃げる準備、、、
隣の部屋のフラットメートは気づいていないようだし、声をかける。

「火事だから逃げるよ〜!」

「え〜? え〜〜〜〜! まじで!」

Fire..._b0046388_2462383.jpgそして出てみると、一番下の階から煙がかなり出ております。そして野次馬沢山です。
Fire..._b0046388_2471587.jpg反対側もこの状態。消防士達がバタバタと消火活動しています。でも今のところそんなに大きな火事ではなさそうだな。でも隣近所は結構被害があるかも。。。^^;


Fire..._b0046388_2483645.jpg
結局僕らにはたいした被害もなく鎮火。。
消防士達も仕事場を眺めながら一息。

でも、本当に火事が自分の身に起こって、PCやデータ関係が飛んだらマジ路頭に迷うかも。特に日本なんかもっと被害が広がる可能性が高いからね。ロンドンは東京みたいにそこまで建物が密集していないし、基本的に石造りが大部分。

この後、消防士達はすぐに帰らず、この建物の庭の芝生で寝っ転がり、昼寝。。。

帰れよ。。。^^;


でもやっぱ、大したことはなかったとはいえ、ちょっとドキドキするよね。。。
ちなみに、一番上の写真右上に写っているおじさん、裸(パンツ一丁)でベランダから下を覗き、まったく逃げる気配は有りませんでした。^^;
まあ、確かに逃げなくても平気ではあったけどね。。。

この緊張感の違いってなんだろう? やっぱ日本人は農耕民族だからか? ^^;
by michiyuki917 | 2006-08-18 02:51 | LONDON
I'm still in jet lag...
I was back to Japan from UK on 28th July, but I'm still in jet lag...

I usually get to sleep around 6am... Because, I'm talking with my partner and my friend of UK, otherwise I went to some club party or to drink with my friends till late... That's why,,,

I have to back to Japanese time...

ん〜、日本に戻って暫く立つけど、未だに時差呆け?
海外の相方や友人とskypeで話したりすることも多く、
そうすると結構遅い時間になってしまってたり、
帰国してからというもの、クラブイベントの出演や、
飲んだりの機会もボチボチあって、未だロンドン時間?

いい加減日本の時間に戻さないとな〜。^^;

これから仕事を始めるのが心配でございます。。。
朝起きるのもだけど、仕事中に眠くなりそうだ。
昨日は少しアルコールが入った勢いで寝てみたものの、
いまいち寝付けず、朝になって深く眠りそうになる。。。
なので、今日は無理して朝から起きてみることに。

はてさて。。。
by michiyuki917 | 2006-08-17 09:12 | Happening
POCOYO
POCOYO_b0046388_7294740.jpg

イギリスでのお気に入りのテレビ番組の1つに「POCOYO」というのがありました。いわゆる子供向け番組なのですが、これが中々に良いキャラクターで、可愛くて、楽しかったです。英語も簡単なので、結構ヒアリングの簡単な勉強にもなるかも。

POCOYO_b0046388_7305661.jpg
YOUTUBEで映像を見ることも出来ますが、日本だとWOWOWで放映されているようですね。日本語だとどんなイメージになるのか不明ですが、英語版の可愛い声を聞いてもらいたいな〜。
「YOUTUBEの映像」
by michiyuki917 | 2006-08-15 07:36 | Interesting
ひたすら書類
知っている人も多いと思うが、ここのところひたすら書類作成に追われている。何をそんなに大変なんだと言いたいかもしれないが、最初は確定申告でした。還付金を返してもらわないと飛行機代も稼げない状態なので。。
そして来年9月からパリの美術館にレジデンスアーティストとして行けることになり、その為の資金調達で文化庁のアーティスト派遣制度の様な奨学金を取るために書類を作っています。この奨学金がもらえなければ独力でパリに1年も滞在できるはずはなく、かなり入念に資料作り。以前の応募は落ちてしまったのだけど、今回は以前より大分キャリアを積み、海外での実績も作ってきたので、結構可能性はあると踏んでいる。

さて、どうなるか?

そしてVISA。週末VISAの為のインタビューがあり、それいかんで今後のスケジュールが決まってきます。OKならロンドン、NGだと日本で仕事再開ということです。相方もロンドンで待っているし、エジンバラのフェスに行く手配もしてしまっているし、何とかVISAが降りるといいのですが。。。

さて、どうなるか?
by michiyuki917 | 2006-08-09 16:43 | Happening
I'm lived by something,,, / 生かされているな〜
今の滞在中はかなり忙しい時間を過ごすことになりそうです。すでに忙しい。^^;
VISAにしろ入国拒否にしろ、運や道理は有ると思うけど、俺がロンドンに戻る必要が有れば行けるかもしれないし、今行く必要が無いのなら通らないって思っておこう。実際そう言うことだろうな。

でもやはり今回の帰国はそうする必要があってしているように感じる。ちょうどロンドンやヨーロッパで出演予定が入ってなかった時期で、しかも作成したい書類関係は日本でやった方がはるかに効率が良い物、そして麗心が閉店するタイミングにバッチリ被り、会うべき人に会って話しをしたり旧交を温めているように感じる。やはり全ての物事は有機的に繋がっていて、理屈ではない部分でコントロールされているのをとても感じる。今の自分に一番必要な場へ送られ、一番やらなければならないことを突きつけられ、そして自分が乗り越えて成長すべき部分を浮かび上がらせる。

人間は生かされているな〜。そして生きようとすればするほど生かされていることを感じることが出来る。何も恐れず自分の目の前にあるモノにちゃんと向き合い乗り越えていこう。加えてそれを超えることが自分の成長を促すモノであり、それを感じることはとても楽しく幸福であることだね。
by michiyuki917 | 2006-08-03 01:30 | I think
I'm blue...
さすがに凹むね。。。
普段ポジティブなのが自分の売りだけど、やっぱ結構今のVISAの状況は良くなくて、久々にプレッシャーがかかっています。さっきの相方や友人にも指摘されたけど、本当に自分の詰めの甘さが腹立たしい。そんな自分を分かりつつ、そうならないように自分を押してはみるものの、中々イメージ通りにことは動かないモノだね。自分のこらえるべき一線を耐えられるだけのモノをもっと切実に考えて、行動していかないといけないね。

過去に大きな失敗だって何度もしているし。。。

VISAの申請書を今記入しているけど、入国拒否された経験が有るかどうか?という項目にYesと答えないといけないし、その状況を自分で書かなきゃだし、やや犯罪者になった様な気分でもあります。まあ実際にUKの法に抵触してしまったわけだけど。

自分の中でグレーのモノをそのままにしてしまう性格はこういう時怖いね。加えて、大抵自分では大丈夫だろうと思ってしまうし。

これも自分への試練だと思って乗り越えていかねば。成る可くして、成るようにしかならない。必要なときに必要なことが自分へ近づいてくるということは、短い人生の中で経験を積むうちに少しは分かってきた。あとは自分がそれを受け入れて乗り越えていくという作業をすれば良いだけ。

結局やれることを精一杯やるしかない。それは何でも一緒だ。
by michiyuki917 | 2006-08-02 00:40 | I think